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communicationとcinemaに関するsolailoのブックマーク (2)

  • 第7回 それで、そのとき文化系男子は何しているの? | 青弓社

    真魚八重子(映画文筆業。「映画秘宝」「キネマ旬報」「TRASH UP」ほかで執筆多数) 「~系女子」という表現のブームに便乗して、この連載も女子の諸事情について映画を通じて書いているけれど、正直なところ、文化系女子と文化系男子であまり大差はないんじゃないかと思っている。肉系の女性なら裕福な男性を狙い撃ちして結婚でアガリとか、マッチョは男らしい社内でのあり方を貫いて管理職競争で生き残るなど、性を有効利用し、性の役割を疑わないことで生き方の道が変わったりするから、性別は重要ではあるものの、何か違ったところに焦点を当てている、文化系男子/女子は、趣味に没頭したり、考えすぎなタチが招く恋愛の苦しみや、孤独や、現在が生きづらいことの感覚はあまり大差はないと思う。「文化系男子でも風俗に行く人は行く」くらいしか、女性にはない施設だから、決定的な違いはないような気がする。 そして、女子同士の腹の探り合い

  • 2007-02-03 - 空中キャンプ

    新宿にて。初日。アンソニー・ホプキンス主演。ニュージーランドのおじいさんが、バイクのスピード記録を塗りかえるべく、世界大会に挑戦する。 「こんななりだが、心は十八歳のままだぜ」と、バイクに乗りつづける老人。なぜなら、「一生分の時間とそっくり取りかえてもいいような、最高の五分間がある」と信じているから。そうした主人公を、アンソニー・ホプキンスが演じる。かっこいいに決まっている。そのとんがり具合である。狂ったようなスピードで走りまくる老人という設定が実にいい。もう俺、年寄りだし、記録だしたら死んでもいいや。そんな生き方は、わたしにはできないことはわかっているし、する必要もないのだけれど、あらためてそうした姿を描かれてしまうと、やっぱり憧れるのである。十代のわたしは、ひょっとしたら、こんな風に生きてみたいと願っていたのかも知れない。もちろん、疾走することを止めなければ得られなかったものも、たくさ

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