タグ

防災に関するsolid_methodのブックマーク (3)

  • asahi.com(朝日新聞社):手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島 - 社会

    「佐藤山」の全景。左の岩山の奥に小屋やあずま屋がある。右下が登り口。手前の家の庭にはがれきが流れ込み、家も使えなくなった=宮城県東松島市手作りの避難所を造った佐藤善文さん。登り口には手書きの看板が掲げられていた=28日、宮城県東松島市、吉美奈子撮影  「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。  東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。  近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造っ

  • asahi.com(朝日新聞社):市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校 - 社会

    児童らが避難した後、津波で押し寄せたがれきに覆われた越喜来(おきらい)小学校の非常通路(中央)。右の児童たちも、この通路から高台に逃れて助かった=28日、岩手県大船渡市三陸町越喜来、仙波理撮影平田武さん=親族提供津波避難用の非常通路が取り付けられていた場所(写真中央)には、流されたがれきが山積みになっていた=岩手県大船渡市三陸町越喜来、其山写す越喜来小学校の非常通路  岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。  海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、

  • 静岡県庁要塞化計画 - Wikipedia

    静岡県庁要塞化計画(しずおかけんちょうようさいかけいかく)とは、静岡県にて立案された計画の通称。主に、1993年10月から1996年3月までの静岡県庁舎別館の新築工事を指すことが多い。 [編集] 概要 東海地震の発生に備え、静岡県庁舎では厳重な防災対策が施されていた。繰り返される耐震対応を経て、建築中の静岡県庁舎別館があたかも要塞に変貌していくかのように見えたことから、県内のマスコミらから「要塞化」と比喩的に表現された。2009年の静岡沖地震では、駿府城の内堀や外堀の石垣が複数箇所で崩壊したが、同一敷地内に立地する静岡県庁は全く被害はなく無傷であった[1]。 [編集] 背景 1995年1月17日、兵庫県津名郡北淡町を震源とする兵庫県南部地震によって、阪神・淡路大震災が発生した。この地震では、兵庫県神戸市の兵庫県庁舎など県の庁舎も被災したため混乱し、兵庫県庁の行政機能が一時的に麻痺してしまっ

    solid_method
    solid_method 2011/03/16
    そこまでとは知らなかった…
  • 1