男性から暴力を振るわれた女性の中には、暴力を受けた後であってすら「なぜあの人は自分を殴ったのだろうか」「彼に何があったのか」と、相手の内面や事情を過剰に想像し、忖度してしまう人がいるという。 なぜ少なくない女性が、男性の「お気持ち」を過剰に想像せざるを得ない状況に追い込まれるのか。そして「解釈労働」とは? 思想家たちのアイデアをヒントに、日本女子大学の小野寺研太氏が考えます。 「想像力の偏り」はなぜ生まれる? 事あるごとに「なんで?」と繰り返す3歳の子どもに、世の理をきちんと説明するのは、骨が折れるが大切な大人の務めだ。きっと多くの人がそうしていると思うが、よく使う論法の一つは「だって、君も同じことされたら嫌でしょう?」だろう。 もし子どもが別の子の本やおもちゃを横取りしたら、「もし同じことされたらどう思う? 嫌でしょう。じゃあ返してあげようね」と諭す。人間には、想像力がある。相手の立場に
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