クリックして拡大するチェルノブイリ原発事故でゴーストタウンとなったウクライナのプリチャピ市の遊園地。放置されて汚れ果てた遊具に事故の重さが刻みこまれていた(佐藤貴生撮影) 原子力発電史上、最悪の事故として知られる旧ソ連チェルノブイリ原発事故の発生から、4月で25年となる。現場では放射性物質(放射能)汚染の拡散を食い止める努力がいまも続き、最前線で事故処理に当たった人は放射能被害の不安に悩まされている。東日本大震災による福島第1原発事故の収束が遅れるなか、関係者は日本の出来事を自らの過去に重ねて注視していた。 首都キエフから北に約100キロ。数百メートル先にそびえるチェルノブイリ原発4号機は、巨体を支えきれなくなった満身創痍(そうい)の高齢者を思い起こさせた。 放射性物質の拡散を防ぐため、事故発生から半年後に4号機をコンクリートで覆った「石棺」(サルコファーク)は至る所が赤くさび付き、雪や