ブックマーク / blog.tinect.jp (27)

  • 「若者」を欲しがる企業が、「成熟できない中年」を生み出している。

    当メディアに寄稿をしていただいている熊代亨氏から、最近また、を贈っていただいたので読んでみた。 タイトルは『「若者」をやめて、「大人」を始める』 このには「若者」であるかのように振る舞い、その結果として痛い目にあう中年が数多く登場する。 実際、彼らは多くの人の目から見ても、大人げなく、イタい存在なのだ。 熊代氏は、の中で 『「大人」が「若者」と同じように振る舞うと、破滅が待っている』と述べ、読者へ大人への成熟を促すメッセージを出す。 熊代氏は、書籍の中で「大人」になれない人が増えているのは、 ・マスメディアが若者を礼賛する ・社会から大人を強制するような通過儀礼が失われている ・年長者と年少者の接点が少ない と言った、昨今の社会事情を挙げている。 そして、熊代氏は一つの指摘をする。 「高学歴、かつ大都市圏で勤める人は「大人」を始める時期がどうしても遅れる」と。 それは、仕事を始めたり

    「若者」を欲しがる企業が、「成熟できない中年」を生み出している。
    soraboby
    soraboby 2018/02/19
    ちょっとわかる
  • 「激励のつもりで罵倒しか出来ていないファンの人」と「パワハラ上司」は同じ構図。

    先日、こんなまとめを読みました。 ゆうきまさみ先生「駆け出しの漫画家さんを応援したいなら激励だけ、叱咤はいりません」どのクリエイターにも当てはまりそう これから駆け出しの漫画家さんを応援しようと思っている方にお願い。応援したいと思うなら激励だけしてあげてください。叱咤はいりません。 (Togetter) ゆうきまさみ先生の漫画はとても面白いですよね。最近ちょくちょく、究極超人あ〜るの読み切りがスピリッツに載っていまして嬉しいわけですが、速く単行が出るくらいの量にならないかなーと心待ちにしております。 あと「でぃす×こみ」面白かったです。 それはそうと。 昔、某出版社で色々とお世話になっていた時期がありました。ちょこちょこ出入りしては、色々穴埋めの記事を書いたり、行ったことがない土地の旅行記をでっちあげたりしていました。すいません。 で、私自身は単なる有象無象ライターの一人だったので殆ど影

    「激励のつもりで罵倒しか出来ていないファンの人」と「パワハラ上司」は同じ構図。
    soraboby
    soraboby 2018/02/10
    こういうの、自覚ない罵倒もそうだけど「こんな人気者をこき下ろせる偉い俺を見てくれ!」的な自己アピールに使われてる場合も多くて腹立つ。
  • 「ちゃんと考えられない人」につけるクスリはあるのか。

    かなり昔の話だ。 クライアント先で、一人の男性から相談を受けた。 彼は同じ年代の中でも「できる人」だと評判で、役員への昇進も期待されていた。 だが、彼は仕事上のコミュニケーションで苦労していた。 「ちょっと相談にのってもらえますか。」 「はい。」 「一週間前、エクセルのシートに一人ひとり、現状分析と来期の目標、そして達成のための施策を書いて提出してもらいました。」 「憶えています。」 「ところがです。提出されたものを見ると、……内容がひどくて。」 彼は溜息をついた。 「新人なら良いですよ。でも管理職でもひどい内容のものが結構あります。私の指示がマズいんですかねえ……。」 私はそれを見せてもらった。 様式は丁寧にできているし、不親切なものとは感じない。 だが、提出された内容については、確かに私も首を傾げざるを得ない点が多数あった。 例えば「現状分析」欄には、今期の売上について間違った数字が記

    「ちゃんと考えられない人」につけるクスリはあるのか。
    soraboby
    soraboby 2017/12/23
    本文に関係がなくて申し訳ないが「ちゃんと」っていう表現が嫌いなんだよおおおおお
  • 「余生」も「隠居」も無い社会で老いていくのが、私は怖い。

    私は「生涯現役」という言葉が好きではない。 巷では、「生涯現役」が良いことのように語られている。さしあたり、いつまでも健康でいられるのは良いことに思える。 だが、いつまでも働き続けることは、良いことばかりだろうか。 数十年前の日には、60歳になったら定年を迎えてリタイアするという慣習があった。 平均寿命が短く、健康管理の意識も乏しかった昭和時代には、60歳でリタイアというのは妥当な目安だったかもしれない。 60歳は「還暦」と呼ばれ、これをもって人生の一巡りとする見方が強かった。そこから先は「余生」とみなされていた。 ところが平均寿命が伸びて、健康管理の意識が行き届いた現在では、「還暦」をもって「余生」とみなす人はほとんどいない。 60歳より早く退職せざるを得ない人が増え、そこから新しい仕事を始める人も増えた結果、人生の節目としての「還暦」は失われた。 それに伴って、「現役」と「余生」の境

    「余生」も「隠居」も無い社会で老いていくのが、私は怖い。
  • 「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。

    よく、「日人は議論が苦手だ」と言われる。理由としては、協調を重んじる気質や自分の意見を言うのが苦手な日人の国民性が挙げられることが多い。だが、それだけではない。日人は、議論を通じて「対話」するのが苦手なのではないかと思う。 そう考えるようになったのは、Twitterで自分の記事に対する反応を見ていたときだ。記事への反応はさまざまで、賛同するものも反論するものもある。 だが不思議なのが、賛同意見は「共感した」「その通り」といったコメントが多いのに比べ、反論意見の場合「まぁこの人は○○だから」「どうせ××したことないんだろ」と人格への言及がほとんどセットになっていることだ。 反論意見は多くの場合、こういった人格への攻撃が伴う。 わたしへの反応だけではなく、他の人への反論コメントも似たようなものだ。 「ちがう意見=敵」と思ってしまうことが、「日人は議論ができない」と言われる原因のひとつで

    「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。
    soraboby
    soraboby 2017/07/28
    夫が議論好きで結婚当初は疲弊してたんだけど「この人は私に"納得"してほしいわけではないのだ」と気づいてから楽しくなった。「きみはA=Bだと思うの?」という言葉を「A=Bじゃないと理解しろ」という意味に取っていた
  • 「子供を無視する親」と「子供と向き合う親」の差を、公教育は埋められるのだろうか。

    休日に電車に乗ると、たくさんの親子連れを見ることができる。 楽しそうな家族、厳かな家族、静かな家族。 どの家族も、電車の中で様々な様子を見せてくれるが、こと「子供の扱い」に関しては二分されるように感じる。 一つは、親がスマートフォンなどを見て、子供とほとんど話をしない家族。 もう1つは、親が子供と会話することに時間の大半を割いている家族だ。 親が子供に対してどう振る舞うかは、基的に親の自由であるし、電車の中だけの1シーンだけを切り取って一般化することに無理があるかもしれない。 だが、電車内での親子の様子を見、会話を聞いて、私は 「親の子に対する態度は、子供の語彙や、知識、物の見方に、さぞかし大きな影響があるのだろうな」と、思った。 例えば、ある親子は、こんな具合だった。 車内アナウンスを聞いた子供が「◯◯(終点)って、どこにあるの?」と聞く。 だが、親はスマホでゲームに興じているようで、

    「子供を無視する親」と「子供と向き合う親」の差を、公教育は埋められるのだろうか。
    soraboby
    soraboby 2017/07/04
    子供は与えられたスマホで終点の位置をググったかも。子供が「親以外を頼りたい」と思った時にどれだけ「親以外に」アクセスできるか、しやすいかって重要だよね。
  • 人間の幸福は「健康でいたい。モテたい。お金が欲しい。人から尊敬されたい。」に集約される。

    僕は業で医者をやっているのだけど、こういう立場になってみると、健康というものがいかに人の精神状態にとって大切かという事がよくわかる。 どんなにお金があろうが、どんなにモテようが、その幸せを享受するための土台としての健康が損なわれていたらどうしようもない。 健康は人の基盤だ。くれぐれも自分の身体は大切にいたわってあげるべきである。 とはいえいくら身体が健康そうでも、あまり幸福そうでもない人がいるのも事実だ。幸せというのは手に入れるのが難しい。みんなが欲しがっているものなのに、それを手に入れている人の数は驚くほど少ない。 最近、様々な実例を観察した結果、人間の幸福についての概略図のようなものが頭の中でまとまってきたので、今回は幸福について書いていこうかと思う。 人間の幸福モデル 多くの場合、人の幸せは大体以下の図のような形で規定されている事が多い。 これだけだと何のことかわからない人もいるだ

    人間の幸福は「健康でいたい。モテたい。お金が欲しい。人から尊敬されたい。」に集約される。
    soraboby
    soraboby 2017/05/17
    “頑張ったら収入という形で報われ…それがモテと地位を相乗効果で上げるというシステムは…ゲームとして非常によくできている。共産主義がグロテスクなのは、この下克上的なシステムが…完全に奪われてしまう点”