![「ラップトップ」復権か。Appleが「ノートブック」という表現からの置き替えを実行中【やじうまWatch】](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/31f5f212bc4e6bd51fe64c6b3a999648b62327b3/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Finternet.watch.impress.co.jp%2Fimg%2Fiw%2Flist%2F1446%2F296%2Fyajiuma-watch_1.png)
脳をハックして乗り切ろう 人間の脳というか感情は意外に厳密な判断をしない 幸・不幸もわりとアバウトに判断してる だから不幸な事がちょっと続くとめちゃくちゃ不幸って気分になってしまう 生まれた時からカウントすれば総じて幸運な人生だったとしても 不幸なことにフォーカスしてしまうと人生まるごと不幸という気分になってしまう 俺がオススメするのはその逆で幸運にフォーカスする方法だ どんな些細なことでもいいので ・自分が人より幸福だと思えること ・過去自分に起きた幸運なできごと などを列挙するんだ 世の中にはとんでもなく不幸な人が沢山いるので 「この人達にくらべれば」みたいに下と比較するのもいいぞ 最初は馬鹿らしくてやってられないかもしれないが 騙されたと思って50個も数えたら本当に元気が湧いてくるぞ 人間の脳って単純だな 人間、自分が不幸だと思ってると 生き方が乱暴になって、ますます不幸になることが
不惑を迎えたからこそ語れることがある 40代くらいで、僕と同じような虚無を抱いている人は他にもいるだろう どうせ俺らは早く死ぬ - phaの日記 40代を迎えた id:pha さんが抱く「若さの終わり」や「みずみずしい喪失感」をつづったエントリー「どうせ俺らは早く死ぬ」。同世代のはてなブロガーから反響を呼び、それぞれの「40代からの生き方」を言葉にするエントリーが連なりました。 さまざまなターニングポイントを乗り越えて、それでもなお続く人生を、はてなブロガーはどのように受け止めているのでしょうか? 「生きに生きて40代」しかありえない 中高年における人生の「充実」「生きがい」とは 「そう、わたしはまだ自分の人生に飽きたくない」 備えて待ち、しぶとく生き続け、ベーコンを作る ”大人”になることを迫られる40代 人生の「オーナー」として自分を愛おしむ 「おれの40代のこの先には希望しか見えねえ
※ 2023/11/26更新 「サビ前の無音」と結婚したい。 曲最高の盛り上がりサビ直前の一瞬、この世のあらゆる音が「ファッ…」と消え去り「えっ…終わった…?」と見せかけての爆発、本当に「恋」としか言いようがない。 ということで、最高の「サビ前の無音」プレイリストを公開します。 open.spotify.com 目次 残響散歌/Aimer 2:21~ ってか/日向坂46 1:13~ THE POLiCY/IDOLiSH7 3:09~ わたし/SixTONES 2:14~ LOUDER/Roselia 2:43~ DESIRE/LUNA SEA 3:08 荒涼たる新世界/聖飢魔II 0:48~ 有心論/RADWIMPS 3:31 悲しみが止まらない/杏里 3:29~ どろん/King Gnu 2:17~ rooms/Maison book girl 1:09~ No.1/DISH// 3:1
心情的な赤字です 赤字の零細企業で働く、ある人間、すなわちおれの心情というものを書きたいと思う。 赤字企業というと、「全国の企業の六割だとか七割だとかは赤字だ」とか、「節税目的であえて赤字にすることもある」などと言われそうだ。 だが、おれの言う「赤字」とは、心理的、心象的、お気持ち的な赤字のことと断っておく。 というのも、万年赤字だったわが零細企業は、親会社的なところができて、そことの関係上、数字的には黒字企業だからである。 とはいえ、親会社的なところに対しては赤字の存在であって、大赤字の存在であって、結局のところ、赤字なのである。 生殺与奪の権は親会社の社長の一存であって、その一存というのも親会社のステークホルダーによって左右され、結局のところ赤字なのだ。 赤字的個人の心情 というわけで、おれは赤字的存在である。 おれはおれの生活を成り立たせるための、十分な生産をしていない。 これが厳然
「論理的思考」の落とし穴――フランスからみえる「論理」の多様性 『「論理的思考」の社会的構築』著者、渡邉雅子氏インタビュー 社会 「ロジカル・シンキングを身につけよう」「これからの教育に必要なのは論理的に話す・聞く・書く能力である」……論理的に考え、書いたりプレゼンテーションしたりする能力はビジネスや教育分野でもてはやされ、現代では欠かせないスキルとして広くうたわれている。 しかし改めて考えると、「論理的」とはなにか? 「論理的」であることは何に立脚しているのか? どこでも共通する普遍的なものなのか? 『「論理的思考」の社会的構築』を著した渡邉雅子氏は、「「論理的」だと感じる思考や論理の型は、実は文化によって異なっており、それぞれの教育の過程で身につけていくものだ」と指摘している。本稿では、「論理」の多様性やその社会的構築過程、小論文教育から見えるフランス独自の論理のあり方、日本におけるア
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