何となく古地図を見ているときのことだった。中野駅の近くに大きな建物を見つけた。調べるとかつてそこには大正時代からの刑務所があったらしい。しかもウィキペディアによると、跡地には今でもレンガ片や土塁が残っているらしい! ところが、レンガや土塁の跡について調べても何も情報が出てこない。ならば自分で調べてみよう。 実際に行ってみたところ、思った以上にいろいろな跡が残っていることがわかってきた。 謎の施設発見 はじまりは古地図だった。 まずはこれを見てほしい。左が大正5年、右が現在の地図だ。東京の中野駅あたりを表している。(今昔マップより) 南にある横線が中野駅だ。北側と南側に大きな施設がある。南側はかつての日本軍の用地。スパイ活動で有名な「陸軍中野学校」があったのもこの場所だ。 そして注目したいのは北側。左側の大正の地図に書いてあるのは「豊多摩監獄」。 監獄。つまり刑務所だ。まさか中野にあったとは