元士族の藤本家(本家)の一人息子として育つ。同居していた祖父は酒好きで大らかな性格。祖母はしっかり者の性格[4]。本人の話によると、大人しくて真面目で体も弱かった幼少期の藤本は、小学校で壮絶ないじめに遭い、番長格の少年から似顔絵を評価されるまで抜け出せなかった。その頃に抱いた気持ちが漫画作品にも反映されているという(『まんが道』[5]にも描写がある)。また、阪東妻三郎などの似顔絵もこの頃描いていた[6]。 1944年(昭和19年)に安孫子素雄と出会う。1950年3月16日、高校1年の時に父(儀男)が死去[7]。それから上京までの4年余りは母子家庭の境遇で過ごすこととなる。 1951年(昭和26年)、安孫子とともに『毎日小学生新聞』に投稿した『天使の玉ちゃん』が採用され、高校3年生(藤本は18歳、安孫子は17歳)にして漫画家デビューを果たす[1]。高校卒業後、製菓会社に就職するが、数日[注