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DiGRA2007に関するsourcekのブックマーク (2)

  • パックマン生みの親に学ぶ、惹き込むゲームの作り方

    岩谷氏は1977年にナムコに入社。以来30年間、ゲームの開発に携わってきた。大ヒットしたゲームタイトル「パックマン」の生みの親として知られている(ちなみにパックマンは2005年、世界でもっとも成功した業務用ビデオゲーム機としてギネスブックに登録された)。自分のノウハウを若いクリエイターに伝授したいという思いから、ナムコを退社し2007年4月から東京工芸大学芸術学部教授として教鞭をとっている。 岩谷氏は日と米国のゲーム産業の歴史を振り返りながら、日ゲーム産業がこれだけ発展した理由や、人を惹き付けるゲームの設計について語った。 ゲーム産業の歴史はアーケードゲームから始まる。日では最初、ボウリングの待合室かデパートの屋上にしかアーケードゲームは存在しなかった。そのため、ゲームはあくまでも「待ち時間にちょっとやる」という時間消費のためのものに過ぎなかった。 それが昭和40年代になると、ゲー

    パックマン生みの親に学ぶ、惹き込むゲームの作り方
  • 「遊びをせんとや生まれけむ」--生みの親が語るファミコン成功の秘訣

    上村氏は1971年に任天堂に入社。30年以上にわたり、ゲームの開発に携わってきた。現在は任天堂のアドバイザーを務めるとともに、立命館大学大学院の先端総合学術研究科教授として、次世代の開発者の育成にも携わっている。 「自分たちがいまどこにいるのかを考える上で、歴史を学ぶことは役に立つ」と話し、日における“遊び”の歴史を紐解くことから話は始まった。 日における遊び道具の歴史は古い。振り返ればサイコロ、碁、ブリキのおもちゃ、キューピー人形など、海外から輸入され、そのまま日に根付いたものも数多くある。上村氏は「私の好きな言葉で『渡来品』と呼ばれるこれらのものを見ると、日人は海外のものをすんなり受け入れる素直な性質があり、遊びについても海外のものをいろいろ受け入れてきた」と指摘し、その延長線上に米国から来たビデオゲームもあるとした。 そのビデオゲームが日の家庭に初めて登場したのは1975年

    「遊びをせんとや生まれけむ」--生みの親が語るファミコン成功の秘訣
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