2020年7月30日のブックマーク (5件)

  • 市川紗椰 ハマーン・カーンのコスプレで結婚式の余興で大失敗した話

    市川紗椰さんがTBSラジオ『ザ・トップ5』の中で、藤森祥平アナウンサーとともにハマーン・カーンのコスプレをして結婚パーティーの余興をして大失敗した話をしていました。 市川紗椰さんのハマーン様がクオリティ高過ぎる。 どー見てもハマーン様にしか見えない。 もしかして市川紗椰さんってアクシズ出身⁈ pic.twitter.com/yPfgY0euGa — 榊 ヤマト /CODE RED. (@seednexdai) 2015, 10月 8 (藤森祥平)冒頭のお話ですけど・・・ (市川紗椰)はい。もうね、ちょっといま恥ずかしいです(笑)。 (藤森祥平)恥ずかしいと言うか、後悔と言うか・・・ (市川紗椰)もうここにいるだけで私、恥ずかしいんですよ。なんか。 (藤森祥平)いまだにね、収まりがついてないことがございました。実は、市川さんと私、藤森がこのスタジオを出て外で、外気に触れているところで初めてお

    市川紗椰 ハマーン・カーンのコスプレで結婚式の余興で大失敗した話
  • 「(サッカーは)1時間半走り回って1-0って」市川紗椰さんのサッカー論、共感も多数だし「これはいい煽り」「角度が鋭い」と賞賛も

    リンク TVer あちこちオードリー~春日の店あいてますよ?~|民放公式テレビポータル「TVer(ティーバー)」- 無料で動画見放題 先週に引き続きMCからひな壇、モデルから報道番組の司会まで芸の幅が広めな麒麟川島と市川紗椰が来店。多趣味な市川紗椰の不思議すぎるこだわりが明らかに。また競馬ファン歴25年の麒麟川島が、競馬に対する熱い想いを語る。それに乗せられ、オードリーも互いの趣味を熱く語り、トークがヒートアップ。 テレビ東京にて毎週火曜深夜1時30分より放送中! 9

    「(サッカーは)1時間半走り回って1-0って」市川紗椰さんのサッカー論、共感も多数だし「これはいい煽り」「角度が鋭い」と賞賛も
  • 「88点の仕事を、88点って言っちゃダメ」つんく♂が語り尽くす“伸びる若手”の共通項|新R25 Media - シゴトも人生も、もっと楽しもう。

    社会人になって数年たったR25世代のビジネスマン。後輩ができたり、ちょっとしたチームのリーダーを任せられたりする機会も増えてきます。 でも、いわゆる「マネジメント」なんてしたことないから、どうしたらいいのかわからない! 今回は、そんな悩みを、この超大物に相談する機会に恵まれました。 【つんく♂】1968年生まれ。大阪府出身。1992年、「シャ乱Q」でデビュー。「シングルベッド」「ズルい女」「いいわけ」などのヒット曲を発表する。1997年より「モーニング娘。」のプロデューサーとして活動。その後、「ハロー!プロジェクト」にて多くのグループのプロデュースを務める。2020年には絵『ねぇ、ママ?僕のお願い!』(双葉社)をプロデュース。また、オンラインサロン「つんく♂エンタメ♪サロン」を主宰するなど、さまざまな活動を続ける プロデューサーとして、モーニング娘。をはじめとする、数多くの才能を見出して

    「88点の仕事を、88点って言っちゃダメ」つんく♂が語り尽くす“伸びる若手”の共通項|新R25 Media - シゴトも人生も、もっと楽しもう。
  • 札幌に戻ったら「最強」とか考えなくなった――炎の漫画家・島本和彦さん【ここから生み出す私たち】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 前田久 創作しながら暮らす場所として、あえて「東京」以外の場所を選んだクリエイターたち。その土地は彼・彼女らにとってどんな場所で、どのように作品とかかわってきたのでしょうか? クリエイター自身が「場所」と「創作」の関係について語る企画「ここから生み出す私たち」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「ここから生み出す私たち」に登場いただくのは、『炎の転校生』『逆境ナイン』『吼えろペン』『アオイホノオ』など、オタク心をくすぐる数々の燃える作品で知られる炎のマンガ家・島和彦さん。 北海道で生まれ育ち、高校卒業後は大阪芸術大学に進学。在学中に商業マンガ家デビューを果たし、卒業を待たずに拠点を東京へ。90年代半ばに北海道にUターンし、以降は札幌で旺盛な創作活動を続けています。2014年からは家業の経営にも携わるようになり、2019年には社長に就任。 マンガ家と社長業の両輪で、多忙な

    札幌に戻ったら「最強」とか考えなくなった――炎の漫画家・島本和彦さん【ここから生み出す私たち】 - SUUMOタウン
  • 妹の緊急避妊に立ち会った話

    ‪私と妹には大きな断絶があった。 母から未だに「あの頃のお前たちは喧嘩の途中から姉妹で殺し合うんじゃないかと思わせるくらい憎みあっていた」と言われるほどに。 勉強ができて中高と国立に入り賢い賢いと言われた私を見ていた妹は、地元の中学から私学への指定校推薦を勝ち取って高校へ入学した。 「金がかかるけどお前は勉強ができないし仕方ないな。先生に媚び売って内心稼げる人当たりがあって良かったな」と妹は父から言われていた。 推薦で高校に入るにはおべんちゃらだけでは叶わない。 妹もきっとたくさん努力をしたけど、専業主婦家庭だった我が家では、稼ぎ頭の父の言うことが全て正しかった。 だから、妹は「先生に媚びを売って大学付属の私学に入ったしたたかな女の子」だった。 その頃の姉妹喧嘩はいつでも「賢いだけの堅物の姉」vs「したたかで気が強く感情の起伏が激しい妹」だった。 殴り合いもしたし、一度喧嘩したら数日どころ

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