高知の芋菓子、けんぴだけじゃない!?かんばもち、ひがしやま...県内に多彩な伝統―支社局「発」!ニュース深掘り
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印刷 上の方に「日本」の文字が見える。「最古の日本」の可能性が高い=「社会科学戦線」7月号、王連竜氏の論文「百済人祢軍墓誌考論」から 中国の古都・西安で見つかった墓誌(故人の事績を刻んで墓に収めた石板)に、「日本」との文字があることを紹介する論文が中国で発表された。墓誌は678年の作と考えられるとしている。日本と名乗るようになったのはいつからなのかは古代史の大きななぞ。大宝律令(701年)からとの見方が有力だったが、墓誌が本物ならさらにさかのぼることになる。 中国の墓誌を研究する明治大の気賀沢保規教授(中国史)によると、論文は吉林大古籍研究所の王連竜氏が学術雑誌「社会科学戦線」7月号に発表した。祢軍(でいぐん)という百済(くだら)人の軍人の墓誌で1辺59センチの正方形。884文字あり、678年2月に死亡し、同年10月に葬られたと記されている。 百済を救うために日本は朝鮮半島に出兵した
我々は直接に過去を知ることはできない。 人間の行動や思考が残したさまざまな痕跡を手がかりに、過去を再構成する以外にそれを知る術を持たない。 そのようにして再構成された過去を歴史といい、再編成の手がかりとした痕跡を史料という。 もとより人が残した痕跡は〈書かれたもの〉に限らないが、古文書、古記録をはじめとする文献史料は、長きにわたって史料のなかでとくに優越した地位を占めてきた。 以前は限られた人しか見ることができなかった文献史料が、一部ではあるが歴史資料集として編纂され、刊行物として活字化されることを経て、多くの人が見ることができるようになった。 加えて近年、そうした刊行物はインターネット上で誰でも検索/参照できるようになっている。 以下では、自宅で誰でも(基本的に)無料でアクセス可能な歴史史料を紹介する。 ここで紹介する歴史資料集は、大きく2つに分けることができる。 A.ひとつは各文書・記
『ジャップの見分け方』(1942) 第二次大戦中、中国に駐留していた米国陸海軍の兵士達に『中国ポケット・ガイド』が配布されたらしいよ。 これは米国陸軍省作成の75頁の小冊子で、そのうち10頁あまりにわたり、日本人の見分け方を示した図版が収録されているんだ。 今回は、この図版部分を紹介するよ。なにしろ戦時中の物なので差別意識丸出しだけど、気分を悪くしないでね! 01 まずは表紙から (あれれ?これって中国じゃなくて台湾の国旗じゃないの?って思った人は、世界史の教科書をこっそり復習してね!) 02 黒髪のスーパーマンみたいなのがライアンで、金髪がテリーだよ。 『ジャップの見分け方』 上官:ライアン、君とテリーは中国に来てから長いよね。ジャップと、わが東洋の同盟(中国人のこと)との違いを教えてくれないか。 ライアン:イェッサー! (※ジャップは戦前は「差別語」じゃなかったよ。スコットランド人をス
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