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2013年8月24日のブックマーク (2件)

  • レイナ・テルゲマイヤー作「9歳のアメリカ人少女がはじめて『はだしのゲン』を読んだとき」 - 編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

    「はだしのゲン」が各国語版に訳されていることは知っていても 実際にどういう読まれ方をしているか、は このグラフィック・アーチストのサイトを見るまで イメージがわきませんでした。 2009年の、「Beginnings」と題された作品は 彼女が9歳だったころ、 父親のオススメで読んだのがたまたま…… という、わずか3ページの短編です。 作者の了解をいただいたので日語訳版を掲載します。 © Raina Telgemeier, 2009 等身大の、淡々とした、あくまでも私的な エピソード。といえばそれまでですけど、 微熱を覆うひんやりした夜景のコマとか 個人的には好きですね。 ちなみに、日語に訳していいかしら? いま日ではこんなことになっていて。 というメールを送ったら 中沢先生の作品が子どもには残酷すぎるとされた、という話は残念です。もちろん「残酷」なんですが、私も、残酷な真実を否定するこ

    レイナ・テルゲマイヤー作「9歳のアメリカ人少女がはじめて『はだしのゲン』を読んだとき」 - 編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!
    spectre_55
    spectre_55 2013/08/24
    "残酷な真実を否定することが何かを解決するとは思えません"うむ。
  • 自殺をしようとする人が目の前にいたとして

    自殺はいけないことだという。目の前で誰かが自殺しようとしていたら止めようとする。それが友人や親類など知った人ならなおさらだ。 でも例えば、その人が「仕事もうまくいかない、お金もない、この先自分の力では生きていけない、頑張っていく気力もない、だから死ぬ」と言った場合、それでも止められるだろうか。たとえばその人が「死ぬのをやめればあなたが養ってくれるのか?」と言い出したらどうするか。それでも自殺を止めて、その人のその先の人生に責任を持てるだろうか。 そう考えると、人が死ぬのを押しとどめるのはとても無責任なことのように思えてくる。死なれるのは嫌。迷惑だ。場合によっては悲しい。でもその人の面倒は見きれない。自分でやれ。たいていの人はそういう考えだろうし、それは間違いではない。どうしようもない。でもやっぱり無責任だ。 そう考えて、それでもなお、自殺する人を説得できるだろうか。 死ぬと誰かが悲しむ、誰

    自殺をしようとする人が目の前にいたとして
    spectre_55
    spectre_55 2013/08/24
    止めるというよりは何で死にたいのか話聞くかなあ、可能なら飯か茶でもしつつ///関係あるかわからんが、債務整理のプロが「借金如きで死ぬ必要はない、何とかする方法は必ずある」と力説してたのを聞いたことがあるよ