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さて、今回もライトノベル(以下、ラノベ)における、学園ラブコメについてあれこれ考えたいと思います。今回は本来、00年からの内容を書くつもりでしたが、調べていくうちに97~99年あたりに重要な要素があるように思われたため、前回と内容がダブるのですが、もういちど97~99年を詳しく探ります。 なお、この記事におけるライトノベルの定義ですが、80年代末の角川スニーカー文庫、富士見ファンタジア文庫を始まりとする、表紙や口絵・本文にイラストのある、10代の少年向けエンタメ小説とします。 ブギーポップ以降・ブギーポップ以前 まず98年に登場した上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』(以下、『ブギーポップ』と略)の話です。 学園ラブコメとは関係はないのですが、ラノベ史上でも重要な位置づけにある作品で、Wikipediaによると「ライトノベル業界全体にも大きな影響を与え、『ブギーポップ以降・ブギーポップ以前
IGN JAPANに掲載されたとある低評価なレビューに対し、「なんでそこまでのゲームをわざわざレビューしなければならなかったの?」という感想が書かれていました。 なるほど確かに、酷評はゲーム開発者も心を痛めるでしょうし、いいゲームだけを知りたい読者にとっては不要でしょう。そのゲームが好きな読者にとっては不快かもしれませんし、低評価をつけるライターだってその行為に緊張するかもしれません。 ゲームを低く評価するなんて行為はたいていつらいものですし、下手をすれば恨みを買う可能性もあるわけで、しないほうがいいと考えるのもわからなくもありません。では、なぜわざわざそんなことをするのか、改めて考えてみましょう。 書く側の「酷評レビューが必要な理由」 『ポケットモンスター ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール』(2021) 本作にも低評価をつけましたが、遊ぶまでここまでの結果になるとは思っていま
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