ブックマーク / tokyocat.hatenadiary.jp (3)

  • 東京猫の疲労と爆睡 - バカ社長みたいな「私」

    前野隆司著『脳はなぜ「心」を作ったのかー「私」の謎を解く受動意識仮説』 たとえば「直角三角形があります。直角を挟む2辺の長さは3cmと4cmです。では斜辺の長さは?」という問いを出されれば、いろいろ考えたり思い出したり計算したりして「5cm」と答える。そのとき我々は、「私」が自主的に意図して考えたというふうに感じている。ところが実はそうではない。当は、ニューロンという小人の群れが勝手にああでもないこうでもないと情報をやりとりした結果としてその答えに到った、とみるべきだ。「私」は常にその小人たちの動きを端から眺めているだけ。小人たちの統率や指揮すらしていない。それでも、小人たちの仕事を「私の仕事」と錯覚することによって、「私」という自己意識は生じてくる。 同書が示す「受動意識仮説」とは、だいたいこんなかんじ(いくらか私なりの表現に換えた)。この見方は、意識がどういう構造になっているかを大き

    東京猫の疲労と爆睡 - バカ社長みたいな「私」
    ssugi
    ssugi 2005/09/30
    ニューロンという小人の群れこそが脳の働きの実体
  • じゃ、そろそろ、まとめに入ろう(2)

    『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由』 (スティーヴン・ウェッブ著、松浦俊輔訳) asin:479176126X 「フェルミのパラドックス」というのがある。地球外文明が存在するというなら「みんなどこにいるんだ」「なぜ訪ねて来ないんだ」というもの。高名な物理学者フェルミが昼飯のあとで同僚にぽろっと口にしたらしいが、考えてみるとこれが実に質を突いていたというわけ。この「なぜ」に答える代表的な理屈を50あげて1つずつ検討していくのがこの。 50の理屈は大きく3つに分けられる。彼らは、1「実は来ている」、2「存在するがまだ連絡がない」、3「存在していない」。いずれのパートも多彩で生真面目な知識と発想が乱れ飛び、心が踊る。そしていよいよ実質的な論議に入ったと感じるのは、やはり「存在していない」のパートだ。地球が・生命が・人間がそれぞれに希少であるという根拠がここにきて次々に挙げられていく

    じゃ、そろそろ、まとめに入ろう(2)
    ssugi
    ssugi 2005/07/26
  • 議論に鉄砲はいらないが白旗もいらない - 東京永久観光

    靖国神社は、戦争にまつわる犠牲を「悼む」場でもありえるのだろう。しかしそれ以上に、靖国神社は戦争にまつわる犠牲を「讚える」場にみえる。これがなにしろ最も気になる。次に、「御国のために殺されたこと」だけでなく「御国のために殺したこと」もドサクサまぎれに讚えていないか。似たようなものとも言えるが、これも相当気になる。そんなこんなで、小泉首相の靖国参拝が私はべつに嬉しくない。 まったく同じ理由から、戦勝国が「御国のために殺されたこと」を「讚える」ことも「御国のために殺したこと」を「讚える」ことも、べつに嬉しくない。 とはいうものの、国家とは自国の戦死者を讚えずにはいられないものなのだろう。戦死者を讚えなければ、自らが行った戦争を否定することになってしまう。国民としても戦死者を讚えることは常識だと考える人は少なくないようだ。ただ、日のあの戦争だけは100パーセント否定されたので、その戦死者も堂々

    議論に鉄砲はいらないが白旗もいらない - 東京永久観光
    ssugi
    ssugi 2005/06/21
    悼むことと讃えることと
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