我々はどこに行こうとしているのか 『新潮45』8月号に杉田水脈議員が寄稿した「LGBTは生産性がないから支援に税金を割く必要はない」という論旨の文章と、それが引き起こした一連の騒ぎは記憶に新しいが、それらを見た時、私はふと、この時のことを思い出した。 生産性がそんなに大事か。 産むことだけが尊いことか。 ただ生きる、その喜びを知らない人間、ただ生き、喜んでいる人間がこの世界に存在することを喜べない人間、そちらの方が生産性のない人間そのものよりもよほど愚かではないだろうか。 世の中はいち、大事なことがあれば、その裏側はそれ以外の取るに足らない凡百の断片でできていて、それらはふとした時、私たちに他人の生の感触を思い出させてくれはしまいか。 昔話の主人公が老人・子供・障害者・ニートばかりなのは、物語や文化の継承がそれらの「生産に関与しない」人々によって行われていたからだと聞いたことがある。 父母