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ブックマーク / urban-diary.blog.ss-blog.jp (2)

  • 日本の英語教育は昔でいえば、植民地での英語教育のようなことを目指している: アーバン・ダイアリー

    大学の同僚の先生と3人で英語教育の会話をする。私を含めた3人ともアメリカの大学院に通った経験がある。さて、そこで一致した意見は、現在の日が取り入れようとしている英語教育は、アメリカにおける移民教育、もしくは昔であれば植民地でみられる英語教育であるということだ。来的に英語を自らの知識を高め、自分の能力を向上するために用いるのであれば必要なものは読解力である。そして、次に求められるのは、その高い能力を発信するために必要なライティングである。リスニングとスピーキングはそれほど重要ではないし、リスニングはともかくスピーキングの修得はほとんど不可能に近いので無駄だ。 それなのに日英語で力を入れているのはスピーキングとかリスニングである。これは、アメリカ人が指示をする従業員として都合のいい能力であって、日人は外資系か楽天で働く以外は必要としない能力である。そもそも繰り返すがスピーキングは極め

    日本の英語教育は昔でいえば、植民地での英語教育のようなことを目指している: アーバン・ダイアリー
    steel_eel
    steel_eel 2011/02/04
    大学はともかく小中学校でスピーキングやる意味は感じないな。どうせ正しい発音をした人が笑われてカタカナ発音に矯正される時間にしかならんだろうし。
  • 小学校の英語の授業を参観して憤怒する: アーバン・ダイアリー

    小学校三年生の次女の英語の授業を参観する。小学生に英語を教える意義について疑問を持っていたからだ。ちなみに次女は目黒の区立の小学校に通っている。英語の先生はちょっとヒッピー風の背の高い若い男性であった。子供たちに話しかける英語を聞いて、えっと思う。イギリス人かな? しかし、その後、その強烈な訛りから、すぐオーストラリア人もしくはニュージーランド人であると確信する。 英語を教えるのは国際語であるからだろう。したがって、通じればいいとは思う。しかし、英語が国際語であるのはアメリカの母国語であるからであり、オーストラリアもしくはニュージーランドの母国語であるからではない。オーストラリアそしてニュージーランドは足しても恐ろしく小国である。日の5分の1程度である。そのような国の訛りの強い英語を教わるために、なぜ現地の人を呼ぶのか。それは日語を教わろうとして山形弁を一生懸命に教わるようなものだ。そ

    小学校の英語の授業を参観して憤怒する: アーバン・ダイアリー
    steel_eel
    steel_eel 2010/11/08
    英語を他でやっているわけでなく、ウォーターメロンは単にカタカナ発音だろう。例え教師がそう発音していても、ワーラーメロンとか発音した瞬間、周囲からプークスクスwwwと笑われるだろうしな。
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