説明に書いたようにブログ用の下書きみたいなツイートです。 身近な知ってる方たちとしか話をしていないので、お互い『パトレイバー』や、ゆうき作品を楽しみ、好きであることなどはすでに前提としてあります。 その上であれこれ考えてるので、いきなりこのツイート群を見ると、ひねくれて作品や作家を受け止めているように感じられるかも知れません。 これが作品の全てだ、真実だ、というわけではなく、単にこの時の話の流れではこの方向に色々意見が出た、というだけですので、ご理解頂ければと思います。
既出記事2。 押井と富野の話パート2。 内容は前の中国語で書いた記事とまったくは同じですが、ちょっと感想を追加。 シャアは富野作品の究極の悪役 【コメント】 押井守の視点で語る富野イズム 富野(由悠季)さんとは個人的には全然面識はないのですが、『ガンダム』は観ています。特に『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(88年)は、かなりしつこく観ました。 あれは特筆すべき作品ですね。それまでの『ガンダム』にあった、思春期の少年たちのドラマ、その甘い部分とかほろ苦い部分とか、全部とっぱらっちゃって、ものすごい「中年」になっちゃった。思春期のドラマを取り去ったときに『ガンダム』という作品の本質に残っているのは何か? それが、全部わかってしまった作品だと思いました。元祖の『機動戦士ガンダム』から10年かけてあそこまでエスカレートしてきた。だから究極の『ガンダム』といえるんじゃないでしょうか。 そこで感じた
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く