今回の選挙、棄権を呼びかける「運動」もあるようです。 棄権も「民意」だという意味なのか、あるいは民主主義システムの機能不全ぶりを露にする「批評」的営為なのかは、ぼくにはわからないし興味もないです。 しかし、それぞれが、「保守」であろうが「リベラル」であろうが、あるいは、サヨクやリバタリアンであろうが、そして、いわゆる「言論」が、いかに感情的に「民主主義」をヘイトし、情緒的に「独裁者」や「破滅」を待望しようとも、あるいはwebによる集合知による政治を夢見ようと、普通選挙による民主主義のシステムよりもましな政治システムは今のところ見当たりません。 だとすれば、民主主義や選挙を嘲笑して自分の立ち位置を守ったとして、さて、「嗤う」以外の何ができるのか。 「選挙」は有権者個人の理性の発露であるべきです。ろくな候補、政治家がいないと嘆く声は、もっともらしく聞こえますが、有権者の理性的でない選択が理性的
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