2021年2月1日早朝、ミャンマー国軍の将校たちは20年11月の選挙結果を無効にすべく、クーデターを起こした。しかし、国民からこれほど大きな反発があるとは予想していなかったかもしれない。当初、保守的な仏教国の人々は沈黙しているように見えた。しかし、警察による捜査や逮捕が始まった4日目には、若者を中心に平和的な抗議活動を行う人々が街にあふれた。かつての軍事独裁を経験してきた年配の世代も、熱烈な怒
国軍のクーデターに抗議する在日ミャンマー人(2月14日、東京)Kim Kyung-Hoon-REUTERS <日本が本当に「平和国家」なら、今こそその精神に忠実であってほしいとミャンマー人は訴える> 「日本のお金で人殺しをさせないで!」──国軍クーデターから2ヶ月後の4月1日、外務省前で行われた「ミャンマーの平和と民主主義を求める集会」で、在日ミャンマー人が手にしていたプラカードである。この呼びかけは私に、日頃気づかなかった日本の平和にひそむ血の匂いをかぎ取らせてくれた。それとともに、「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と記した日本国憲法前文の「平和」の実現に何が必要なのかを考えさせられた。 「人間として恥ずかしい行為」 「日本のお金による人殺し」とは、日本政府が長年にわたり民主化運動を弾圧する軍政の側に立ち、軍政を民主化へ前進させるためという名目で経済援助をつづけながら、日本の官民
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