取材・文◎吉岡洋美 「いいときも目もあてられないほど悪いときも、ライブのアップダウンは激しかったけど、気づけばそんな1年を乗り切った」と、カムラも言うように、ライブハウスとパンクシーンへの参入、相次ぐオファーに地方ツアー、ハネムーンズ結成と、怒涛の’80年をバンドはひと通りくぐりぬけ、翌’81年。ライブの場数をハードにこなしていくなか、「ライブハウスでも、“足元の黒い箱はモニターって言うんだ”とか、”ステージ上と観客側では聴こえる音が違うんだ”とか、少しずつわかってきて」(天鼓)、「ギグでも演奏が安定して、水玉消防団の動きも軌道に乗ってきた」(カムラ)ころ、まるで見計らったかのように面白い偶然と展開が彼女たちのもとにやって来る。 「棚ぼた」のアルバム・レコーディング その偶然とは、JORA併設のカフェバー“マヤー・ジーズニー”の常連客からもたらされた。 天鼓「早稲田のJORAの近所に、た
町山智浩さんが2023年8月29日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で映画『福田村事件』について話していました。 (町山智浩)で、今日はですね、今週の金曜日。9月1日になるんですけれども。関東大震災からちょうど100年目なんですね。それで、ちょうどその9月1日に日本公開になる日本映画なんですが。『福田村事件』という関東大震災についての映画を紹介します。これはね、僕の知り合いも出てまして。水道橋博士が出ています。 (でか美ちゃん)俳優として? (町山智浩)はい。博士が参議院議員に当選した後に撮影してるんですけど。 (でか美ちゃん)ああ、そうなんですか? (町山智浩)そうなんですよ。で、彼の俳優がとして……今まで、何本かやってきてるんですけど。今回は一番いいですね。 (でか美ちゃん)へー! YouTubeもね、町山さんのに出られたりしてましたよね。水道橋博士。 (町山智浩)はい。なんか今、だん
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く