延命治療を望まないことと、「早く死にたい」と望むことはイコールではありません。田村淳さんの母・久仁子さんは自分の病を知ったときから、大切な家族と楽しく別れるための数々の仕掛けを用意して、旅立ったのです(構成=内山靖子 撮影=清水朝子) 「なにかあった場合、うちは延命治療はせん」 母ちゃんが亡くなって、もうすぐ1年になります。享年72。母ちゃんの話をするといまだに泣きそうになるし、悲しみが薄れることはこの先もたぶんない。実の母を亡くす、というのは本当につらい経験ですね。 母ちゃんの左肺にがんが見つかったのは、亡くなる5年前のことです。その報告を電話で聞いたとき、僕は「悪いところを取り除けるのであれば、手術をしてほしい」と言いました。そうでなければ、母ちゃんは手術を拒むつもりだったから。 元看護師の母ちゃんは、それが納得できる治療か検討してくれたのだと思います。傷が小さくて済む胸腔鏡手術。その
![田村淳「〈延命治療はせん〉と言い続けた母ちゃん。パンツ1枚残さず、告別式の弁当まで手配して旅立った」 数えきれないほど家族会議を重ねて|芸能|婦人公論.jp](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/cc34d4446944801e379e078245bba9fb655e0906/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ffujinkoron.jp%2Fmwimgs%2F3%2F3%2F-%2Fimg_33142a2f36d5b64fc4b59cb3be202ef042912.jpg)