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アランに関するsubaru660のブックマーク (15)

  • 習慣は偶像と似ている:日経ビジネスオンライン

    警察は飲んだくれをまともな人間にするために、誓約書を書かせる。こうして行動を形に残すわけである。だが学者はこのやり方を信用しない。習慣や悪行はもともと決定づけられ、しっかり根を下ろしている、と彼らは言う。そして物質の知識に基づいて理論を展開し、鉄や硫黄が固有の性質を持つように、人間もあらかじめ行動特性が決まっていると言いたがる。だが私はそうは思わない。鉄は、鍛えられたり延ばされたりするためにその性質を備えているわけではないし、硫黄も、火薬や弾薬にされるためにその性質を備えているわけではなかろう。人間の善行も悪行も、来的な性質に由来するのではないと考えたい。 人が酔っぱらいたくなるのはよくわかる。飲みたくなるのは習慣なのであって、いつも飲むから飲む、飲めばまた飲みたくなる、という具合で理性を失ってしまう。だが飲みたくなる最初の理由は瑣末なことなのだから、そこで酒を断つと決心すれば、やめられ

    習慣は偶像と似ている:日経ビジネスオンライン
    subaru660
    subaru660 2012/09/07
    『習慣はこちらが従うから威力を発揮するという点で、偶像と似ている。考えられないことはできないのだと思ってしまうと、いつまでも習慣から逃れられない』
  • 意気地のない生き方は時間をかけて死ぬこと:日経ビジネスオンライン

    人間に何か可能性が秘められているとしたら、それは自らの意志の中にしかない――これは、宗教や奇蹟や禍と同じぐらい古くからある考えである。この考え方は、逆に言えば、意志が打ち負かされてしまったら成り立たない。この意志の力は、結果によって証明される。ヘラクレスは、生涯をかけてこのことを自ら証明し続けた。そして自分は運命の奴隷に過ぎないと気づいたとき、みじめな生よりもはなばなしい死を選んだ。 ヘラクレスの神話はとても美しい。外から与えられた試練を乗り越える美しさを教えるために、ヘラクレスの難業を子供たちに暗唱させたらよいと思う。ヘラクレスの生き方こそ生きるということであり、意気地のない生き方はぐずぐず時間をかけて死ぬことにほかならない。

    意気地のない生き方は時間をかけて死ぬこと:日経ビジネスオンライン
    subaru660
    subaru660 2012/09/07
    『未知のものや未知の人がそれぞれの決まりに従って動くのを目にすると、人間は何とか理解しようとする。だが相手から好意を示されると、こちらは理解しようとする力を失い、ひたすら相手に期待するだけになる』
  • 未来を知りたがる病は退治する必要がある:日経ビジネスオンライン

    知り合いの男が手相を見てもらったことがある。退屈しのぎに運勢を知りたくなっただけで、信じるつもりはないと言っていた。だがもし事前に相談されていたら、きっと私は止めていただろう。なぜならそれは、危険な退屈しのぎだからである。 まだ何も聞いていないうちは、信じないと言うのはたやすいし、たいていの人がそう言うだろう。そもそもその時点では、信じるべき何物もない。聞いた後に信じないでいることは、始めはたやすいがだんだんにむずかしくなる。そして占い師はそのことをよく知っているのだ。「信じないとおっしゃるなら、何を怖がるのですか」と誘って罠を仕掛ける。私自身のことを言えば、信じてしまうことが怖い。いったい何を言われるかわからないではないか。 占い師は、自分の言っていることを信じているのだと思う。もしほんの気休めを言うつもりなら、誰にでも予測のつくようなありきたりのことを、どうとでもとれるように伝えるだろ

    未来を知りたがる病は退治する必要がある:日経ビジネスオンライン
    subaru660
    subaru660 2012/09/07
    『聞いた後に信じないでいることは、始めはたやすいがだんだんにむずかしくなる。そして占い師はそのことをよく知っているのだ。「信じないとおっしゃるなら、何を怖がるのですか」と…』
  • よく生きるとは自分の選択や仕事に文句を言わないこと:日経ビジネスオンライン

    私たちは自分からは運動一つ始めることはできない。腕を伸ばすにしても、最初に神経や筋肉に命令するのは私たちの仕事ではなく、運動はひとりでに始まる。私たちの仕事は、その動きを保ち、うまくやり通すことだ。つまり私たちは何も決めず、ただ導くだけである。ちょうど、勇み立つ馬を操る御者のように。 とは言え、御者が操れるのは勇み立った馬だけである。馬が目を覚まし、勝手な方向に走り出そうとすると、それを御者が望みの方向に向ける。これが出発である。同じように、船も推進力が備わっていなかったら、舵に従うことはできない。だから、つまり、何はともあれ出発することだ。どこへ行くかはそれから決めればよい。

    よく生きるとは自分の選択や仕事に文句を言わないこと:日経ビジネスオンライン
    subaru660
    subaru660 2012/09/07
    『私たちは、自分がしたわけでもないのになされている選択を、とかく避けられない運命と捉えたがる。だがそうした選択は私たちを縛るわけではない。そもそも悪い運というものは存在しない…』
  • いやな人間に出会ったら、まずはほほえみなさい:日経ビジネスオンライン

    激怒を端的に表す動作と言えば、我と我が身をかきむしることである。これは自分で自分を痛めつけ、自分で自分に復讐する動作である。子供はまずこれをやってみる。そして不機嫌のしかけた罠に落ち込む。 泣いてはまた泣き、腹を立てては癇癪を起こし、絶対にご機嫌になんてなってやるもんかと思いながら、自分で自分を慰めて拗ねてみせる。好きな人をわざと苦しめて自分を二重に罰し、自分を懲らしめるために他人に悪さをする。 無知を知るのを恐れて、もうは読まないとうそぶく。強情に強情を張り、咳をしては怒り、侮辱されたことをわざわざ思い出して自分から気持ちをささくれ立たせ、自分を傷つけ辱めるようなことを悲劇役者よろしく自分に言い散らす。 万事いちばん悪いことが真実なのだと考え、いやな人間を思い浮かべてはことさらそのまねをし、信じてもいないことを試して失敗した末に「どうせ失敗すると思っていたさ。俺の運なんてそんなものだ」

    いやな人間に出会ったら、まずはほほえみなさい:日経ビジネスオンライン
    subaru660
    subaru660 2012/09/07
    『寒さに対抗する唯一の方法は、寒さに満足することである。喜びの達人スピノザなら「暖まったから満足しているのではない、満足しているから暖まるのだ」と言うことだろう。』
  • 人間は情念に身をまかせたとたんに大馬鹿者になる:日経ビジネスオンライン

    口を開けたまま「イ」という音を思い浮かべることはできない。試してみたらすぐにわかるが、想像の中でいくら無言の「イ」を発音しようとしても、それは「ア」に近くなるはずだ。この例から、身体の運動器官にじゃまをされたら、想像力はそれ以上先へ進めなくなることがわかる。 この関係を身近に示してくれるのが、身ぶりである。身ぶりは、想像した動きをそっくり形に表してしまう。たとえば怒りを感じたら、拳を握りしめずにはいられない。このことは広く知られているが、それを逆手にとって情念をうまくなだめる方法を考え出した人はいないようだ。 宗教というものには、意外にも実際的な知恵がひそんでいる。たとえば、不幸な人が現実を認めまいとして反抗し、その無駄な努力に疲れていっそう不幸になっているときには、その人をひざまずかせ、両手の中に頭を埋めさせて、反抗の動作を鎮める。この方が、道理を説くよりずっといい。ひざまずくというこの

    人間は情念に身をまかせたとたんに大馬鹿者になる:日経ビジネスオンライン
    subaru660
    subaru660 2012/09/07
    『宗教というものには、意外にも実際的な知恵がひそんでいる』『怒った人は、ひざまずいて安らぎを求める。そして、正しくひざまずき怒りを追い出す姿勢をとれば、必ず安らぎが得られる』
  • 悩みごとがあるときは、屈伸運動をやってみるとよい:日経ビジネスオンライン

    舞台に出る前は恐ろしくて死ぬ思いをしていたピアニストが、演奏を始めるとすぐに治ってしまうのはどうしてだろうか。そのときにはもう怖いことなど考えていられないからだという説明は、たしかにその通りだろう。だが私は恐れそのものをもっとよく考えてみて、ピアニストのなめらかな指の動きが恐れを揺さぶり、ふるい落としてしまうのだと理解したい。 身体という機械の中ではあらゆるものが連動しているので、指だけが自由にほぐれるということはなく、指がほぐれれば胸も楽になる。こわばりもそうだが、なめらかさもどこにでも浸透していく。こうして体全体をうまく操れるようになれば、もはや恐怖の居場所はない。真剣に歌ったり語ったりすることも、この律動的な運動が体中の筋肉におよぶので、やはり心を落ち着かせてくれる。 情念から私たちを解放してくれるのは、思考ではなく行動なのである。これは大切なことなのに、ほとんど注目されていない。人

    悩みごとがあるときは、屈伸運動をやってみるとよい:日経ビジネスオンライン
    subaru660
    subaru660 2012/09/07
    『手のひらは、開くか閉じるかどちらかしかできない。手を開くとき、あなたは拳の中に握りしめていた怒りや苛立ちをすっかり逃がしてやることになる』
  • 不機嫌に対しては義務的なほほえみに助けを求めよ:日経ビジネスオンライン

    不機嫌は結果であるばかりでなく、原因でもある。病気の大半は、礼儀を忘れた結果だと考えてもよかろうと思う。ここで私が「礼儀」というのは身体に対する礼儀のことであり、それを忘れるとは、自らの身体に暴力を振るうことを意味する。獣医として日頃から動物を観察していた父は、動物が人間とほぼ同じ条件の下に置かれ、同じくらい無理をさせられているにもかかわらず、病気がずっと少ないと言ってふしぎがっていた。これは、動物は不機嫌にはならないからである。つまり、あれこれ考えて苛立ったり、うんざりしたり、憂になったり、ということがない。 たとえば、眠りたいのに眠れず何を考えても苛々した経験は、誰しもあることだろう。この苛立ちが、まさに不眠症の原因になる。また悪い方へ悪い方へと考えて恐怖に駆られると、不吉な想像が心配を一層かき立て、病気はなかなか治らない。さらによく言われるとおり、階段を見下ろしただけで胸が締めつけ

    不機嫌に対しては義務的なほほえみに助けを求めよ:日経ビジネスオンライン
    subaru660
    subaru660 2012/07/31
    『不機嫌に立ち向かうとき、知性は無力であり、ほとんど役に立たない。…すぐに姿勢を変え、適切に身体を動かすことだ。礼儀作法に頼り、義務的なほほえみに助けを求めるのがよい』
  • 不調の大半は、注意しすぎ心配しすぎるせいである:日経ビジネスオンライン

    学者はこう言う。「私はたくさんの真理を知っているし、知らないものについてもしっかりと意見を持っている。それから私は、機械とは何かをよく知っているから、ちょっと手入れを怠ったり、ほんの二、三分注意が逸れたり、定期的に専門家に見てもらわなかったりすると、すぐにネジが外れて全体が壊れてしまうことも理解している。 そこで私は、自分の身体というこの機械の点検に時間を割いている。どこかががたついたりきしんだりしたら、専門家のところへ行き、悪いところ、正確に言えば悪いと思われるところを診てもらう。 あの有名なデカルトの教えに従って、このように注意を払っているのだから、不慮の災難は別として、先祖から受け取ったこの身体が許す限り寿命を延ばせると確信している。賢明な生き方だ、そうじゃないかね」。 そうは言っても、この学者先生の生活は味気ないものだった。

    不調の大半は、注意しすぎ心配しすぎるせいである:日経ビジネスオンライン
    subaru660
    subaru660 2012/07/31
    『不調の大半は、注意しすぎ心配しすぎるせいである。いちばん確実な治療法は、胃や腎臓の病を足のまめ以上に恐れないことだ』
  • ほほえみは身体の深いところまで届く:日経ビジネスオンライン

    ほんの些細なことが原因で、たとえば擦れのせいで、せっかくの一日が台無しになることがある。そういうときは何をやっても楽しくないし、頭もうまく働かない。だが治療法は簡単である。読者ももうご存知のとおり、原因さえわかればすぐにも楽になるはずだ。この種の不運は、服を脱ぎ捨てるようにすっかり取り除くことができる。 ピンにひっかかれるのを感じた赤ん坊が、重い病気にでもかかったように泣き叫ぶのは、赤ん坊には原因がわからないし、したがって治療法もわからないからである。そしてときには泣いたせいで具合が悪くなり、一層ひどく泣き叫ぶことになる。これはまさに想像上の病と名付けるべきだろう。これも物の病気ではあるが、「想像上の」と付くのは、自分自身の心の動きが作り出し、しかもその原因を外に求めるからである。泣き叫んでかんしゃくを起こすのは、赤ん坊だけではない。

    ほほえみは身体の深いところまで届く:日経ビジネスオンライン
    subaru660
    subaru660 2012/07/18
    『不機嫌に対しては、笑うことが効果的である。…ほほえみはあくびと同じように身体の深いところまで届き、喉、肺、心臓を次々に楽にするからだ。』
  • 悲しいときに自分を責めたり呪ったりしないことだ:日経ビジネスオンライン

    病気よりも情念の方が耐え難い。その理由はおそらく、情念はどれも自分の性格や考えから生まれるように見えるにもかかわらず、どうやっても抵抗できない必然の様相を呈しているからだろう。身体のけがなら、苦しまなければならないことはよくわかる。それに、痛み以外は何も問題はない。また目の前にある物の形や音や匂いが恐怖や欲望を引き起こして我慢できなくなったら、文句を言って放り出せばよろしい。そうすれば、心の平穏を取り戻すことができる。 だが情念というやつ、これはどうにもならない。愛するにせよ憎むにせよ、目の前に対象が存在する必要がなく、心はまるで詩人の魂のように気ままに羽ばたいて、情念の対象を思い浮かべたり勝手に変えたりする。いつだってそのことを考えずにはいられない。そのうち自分の支離滅裂がまともだと思えてきて、冷静な知性に鋭く指摘されたりする。人間は、感情にはこれほど悩まされないものだ。たとえば、ひどく

    悲しいときに自分を責めたり呪ったりしないことだ:日経ビジネスオンライン
    subaru660
    subaru660 2012/07/01
    『何かと自己主張したがっているのは身体なのだ、胃袋が意見を言っているのだ』
  • 悲しみは病気に過ぎない、だから我慢するしかない:日経ビジネスオンライン

    すこし前に腎臓結石を患っている友人を見舞ったところ、すっかり落ち込んでいる様子だった。誰もが知っているように、この種の病気になると気が滅入るものである。そう言うと相手も同意したので、私はこう結論づけてやった。 「この病気になると気が滅入ることがわかったのだから、暗い気分になっても驚いてはいけないし、不機嫌になってもいけないぞ」。 この立派な理屈に友人は大笑いしたものだ。なかなかの成果である。実際私は、少々ユーモラスな表現を使って、不幸な人がめったに考えようとしない重要なことを言ったのだった。

    悲しみは病気に過ぎない、だから我慢するしかない:日経ビジネスオンライン
  • 幸福でいることには意志の力が働いている:日経ビジネスオンライン

    ときには周期的な躁病について考えてみるのも、悪くはあるまい。ある心理学の先生がたまたま病院で見つけたこの「悲しみのマリーと喜びのマリー」という症例は、とりわけ考えるべき点が多い。もうすっかり忘れられてしまった話だが、覚えておく価値はありそうだ。 マリーという娘は、時計のような正確さで、一週間は陽気になり次の週には悲しくなった。陽気なときは、万事がうまくいった。雨が降っても晴れても楽しく、ほんのちょっと親切にしてもらっても有頂天になり、好きな人のことを思い浮かべただけで「あたしってほんとにしあわせだわ」と考えた。退屈なんて、もちろんしない。どんなささやかな思いつきも、喜びに彩られていた。ちょうど、誰からも愛される生き生きした花のように。まさに理想の状態である。読者のみなさんもこのときのマリーのようでいられますように、と祈らずにいられない。 どんな水瓶にも取手が二つあるようにものごとには二つ

    幸福でいることには意志の力が働いている:日経ビジネスオンライン
  • 病気を演じるのではなく、健康のふりをしなければならない:日経ビジネスオンライン

    手相を見る砲手がいたことを覚えている。業は木こりだったから、野生の生活をしているうちに、かすかな兆候の意味をその場で解き明かす術を学んだのだろう。そしてほかの占い師の真似をしているうちに、自分でも手相を見るようになったのだと思う。私たちが目つきや顔のしわから相手の考えを読み取るように、彼はてのひらから読み取った。クレール・シェーヌの森の中、一のろうそくの明かりの下で、砲手は聖なる場所と威厳をとりもどし、相手の性格について語った。それは控えめで、よく当たった。一人ひとりの近い将来のこと、遠い将来のことも、予言していた。簡単には笑い飛ばせないようなことも言っていたものだった。 あるとき私は、誰かになされた予言の一つが的中するのを目撃した。だがそれは、記憶に何か新しいことを付け加えてしまったせいかもしれない。予言が実際の出来事に再現されるのは、何がなしうれしく感じられるものだから。こうした想

    病気を演じるのではなく、健康のふりをしなければならない:日経ビジネスオンライン
  • 「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」毎日読むアラン『幸福論』:日経ビジネスオンライン

    このコラムについて 「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」。アランの『幸福論』の有名な一節です。アランはリセ(高等中学校)の哲学教師でした。『幸福論』は、教師生活の傍ら、1906年から1914年まで「プロポ(哲学断章)」として新聞に毎日連載されたものが基になっています。日でも愛読されてきた『幸福論』を、翻訳家、村井章子さんの新訳でお届けします。落ち込んだときや、心が“折れた”と感じたときに、ぜひ読んでみてください。そんなネガティブな感情がすうっとなくなり、いつの間にか自分だけの幸福感を味わえるようになると思います。 記事一覧 記事一覧 2012年9月7日 ともかくも幸福になることを誓わなければいけない 【最終回】幸福になるという誓い 悲観主義は気分に、楽観主義は意志による。気分任せにしていると、人間はだんだんに暗くなり、ついには苛立ち、怒り出す。このことは、ルールのない遊びをし

    「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」毎日読むアラン『幸福論』:日経ビジネスオンライン
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