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ブックマーク / s-scrap.com (3)

  • 第1回 おもむろに、老人がロックを語り始める

    ロックとはなんだったのか? 情熱的に語られがちなロックを、冷静に、理性的に、「縁側で渋茶をすするお爺さんのように」語る連作エッセイ。ロックの時代が終わったいま、ロックの正体が明かされる!? 「ロックの正体」とは我ながら大きく出たもので、何か大層な話をするのかと思われそうだが実のところさほど大した話はできない。ロックという音楽文化が誕生したのは20世紀の中頃、1950年代の話で、人間にたとえたら還暦をとうに過ぎておりあと数年で古希を迎える。ロックというのはその折々の時代において熱く語られてきた過去があるので、ロックに関する書籍、文章の類は星の数ほどあってもしかしたらレコードやCDよりも多いのではないか。音楽でありながら活字文化との結びつきが異常に強いのである。 ただ、ロックにまつわる文章というのはどれもやたらと情熱的で、異様な熱を帯びたものが多かった。これに対しては随分と前から、もう少し落ち

    第1回 おもむろに、老人がロックを語り始める
  • 第一書簡 あるべきイスラーム理解のために 中田考+飯山陽 – 晶文社スクラップブック

    人は、身近な隣人となりつつあるムスリムの論理を理解しているか? そこに西洋文明中心視点の誤ったイスラーム解釈はないか? 世界のイスラームに関連するトピックを題材に、より深いイスラーム理解にたどり着くための往復書簡。イスラーム教徒でイスラーム法学者である中田考、非イスラーム教徒でイスラーム思想研究者の飯山陽、専門を同じくしつつも互いに異なる立場の2人による、火花を散らす対話。 イスラーム理解はなぜ困難であるか  中田考 序│東京大学イスラム学研究室 飯山陽さんは、私にとってなによりもイスラム学研究室の後輩です。東京大学文学部に日で初めてのイスラームの専門研究コースとしてイスラム学研究室が創設されたのは1982年で、私はその一期生でした。私はイスラム学研究室に進学し1984年に学士号、1986年に修士号を取得した後、エジプトのカイロ大学に留学し、1992年に「イブン・タイミーヤの政治哲学

    第一書簡 あるべきイスラーム理解のために 中田考+飯山陽 – 晶文社スクラップブック
  • 第1回 躁転したマーク・フィッシャーとしてのオルタナライト

    左翼が来持っていたダイナミズムが失われて久しい。いまや自壊した左翼は「大同団結」を唱え、そのための合言葉を探すだけの存在になってしまった。怠惰な団結をきれいに分離し、硬直した知性に見切りをつけ、横断的なつながりを模索すること。革命の精神を見失った左翼に代わって、別の左翼(オルタナレフト)を生み出すこと。それがヘイト、分断、格差にまみれた世界に生きる我々の急務ではないか。いま起きているあまたの政治的、思想的、社会的事象から、あたらしい左翼の可能性をさぐる連載評論。 「資主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい」[1]とマーク・フィッシャーは書いた。 いまや資主義だけが唯一可能な政治・経済的制度だとみなされ、それに代わるオルタナティブは想像することすらできない。そのために深刻な無力感と文化政治的な不毛さが広がり、わたしたちは「再帰的無能感」[2]に襲われている。うつ病をはじ

    第1回 躁転したマーク・フィッシャーとしてのオルタナライト
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