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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (3)

  • 誰からも必要とされず、イデオロギーに殉ずることすらできなくなった僕たちへ。 - いつか電池がきれるまで

    www.huffingtonpost.jp これを読んで、考えたこと。 人間というのは、めぐり合わせとか縁とか運みたいなものに、大きく左右されて生きている。 昔聞いた話で記憶に残っているのは、エネルギー産業で石炭全盛だった時代には、東大を首席で卒業したような人たちが、みんな石炭業界に就職していたのだが、その後の産業構造の変化によって、彼らの多くは職を失ったり閉山のときに矢面に立たされたりして、厳しい職業人生を送った、というものだった。 テレビが新しいメディアとして生まれたときも、まだ普及率が低かったこともあり、映画やラジオよりも低くみられており、変り者やはぐれ者が行くところだったという。 b.hatena.ne.jp 塩見さんの人生とこの雨宮さんのエントリに対して、さまざまなコメントがされているのだけれど、僕はものすごくシンプルに「面白くてせつない人生だな」と思った。 塩見さんはテロリスト

    誰からも必要とされず、イデオロギーに殉ずることすらできなくなった僕たちへ。 - いつか電池がきれるまで
  • 「と学会」と「note」とクリエイターの「老害化」について - いつか電池がきれるまで

    kakuyomu.jp anond.hatelabo.jp 僕は「と学会」のを読んで、『ノストラダムスの大予言』というのは、どうも当たらないというか、けっこういいかげんなものらしい、ということに自信を持てるようになったのです。『水からの伝言』(水に『ありがとう』などの『良い言葉』を見せるときれいな結晶ができて、『ばかやろう』などの『悪い言葉』を見せると、きたない結晶ができる、というやつですね)へのツッコミも記憶に残っています。 「いい話」「教育上役立つ(と多くの大人が思い込んでいる)話」は、「噓でも良いじゃないか」というような欺瞞に対して、敢然と立ち向かっていった『と学会』の活動は、当時の僕にとっては、とても刺激的なものでした。 その後の『江戸しぐさ』論争などをみると、結局、人は同じようなことを繰り返すものなのだな、と考え込まずにはいられないのですけど。 fujipon.hatenadi

    「と学会」と「note」とクリエイターの「老害化」について - いつか電池がきれるまで
  • 平田オリザさんのことは嫌いでも、舞台演劇や役者さんたちのことは、嫌いにならないでほしい。 - いつか電池がきれるまで

    oriza.seinendan.org b.hatena.ne.jp 平田オリザさんへの批判が止まらない。 というか、こうして自ら追加燃料を投下しているのをみると、「雉も鳴かずば撃たれまいに……」と思うのです。 僕は7年くらい前に、平田さんの「コミュニケーション論」を読んで、ものすごく感銘を受けたのです。 fujipon.hatenadiary.com このの第一章で、平田さんは、こう述べています。 現在、表向き、企業が新入社員に要求するコミュニケーション能力は、「グローバル・コミュニケーション・スキル」=「異文化理解能力」である。OECD(経済協力開発機構)もまた、PISA調査などを通じて、この能力を重視している。 (中略) 「異文化理解能力とは、おおよそ以下のようなイメージだろう。 異なる文化、異なる価値観を持った人に対しても、きちんと自分の主張を伝えることができる。文化的な背景の違

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