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ブックマーク / sekasuu.com (4)

  • 伊集院光が語る 「三遊亭円楽師匠の訃報」

    2009年11月02日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、番組の最後に10月29日に肺癌で亡くなった三遊亭円楽師匠について語られていた。 伊集院光は三遊亭円楽の弟子、楽太郎の元へ弟子入りしている。言うならば、伊集院は円楽の孫弟子にあたる。その円楽師匠が亡くなった、ということについて、伊集院は語っていた。 「あの…1ヶ月前くらいに落語を聴いてみようかと思ったんです。俺のルーツは古典落語だしっていうことで。それで、立川志の輔師匠の独演会のチケット買ったんです。それで、割と楽しみにしていて、その独演会が先週の金曜日だった」 「その当日に、円楽師匠が亡くなったっていうことを聞きましてね。そんな偶然もあるもんだと、そう思ったんです。でも、その程度の偶然はいつだって起きてるんでしょうけどもね。でも、あまりにも落語から離れていたもので、そういうもん(縁)だと思った」と伊集院は話していた。 さらに、そこ

    伊集院光が語る 「三遊亭円楽師匠の訃報」
  • 爆笑問題・太田が語る「伊集院光」

    2009年10月26日放送の「爆笑問題の日曜サンデー」に、伊集院光がゲスト出演していた。この放送枠は元々、伊集院が昼のラジオ番組をやっており、いわば出戻りのような形での出演となった。 「番組を降板するにあたって、翌週は家に居ることができなかった。辞めるからには、暇ではいけない、なんてことを考えて無理に外に出かけた。そうしたら、町ゆく人に『あれ?伊集院さん、ラジオは?』とかって訊かれた。そうしたリアクションで、聞いてくれていたリスナーがいたんだって実感した」 「それは、辞めてみて気づいた感覚だった。あと、日曜日が暇になってしまった。意外にやることが無くて、ラジオを聞いていたりする。そうすると、自分がいなくても世界が回っている感覚があって、少しイヤになってしまったりもする」と、伊集院は語っていた。 さらに、そこから以下のような太田光の考える『伊集院光』像について語られていた。 「伊集院は、

    爆笑問題・太田が語る「伊集院光」
    sumakin
    sumakin 2009/11/11
    聴きたかったなー
  • 爆笑問題・太田 「報道番組のキャスターを語る」

    2009年11月08日放送の「爆笑問題の日曜サンデー」にて、筑紫哲也の特集を行っていた(27人の証言コーナー内)。その中で爆笑問題・太田が、筑紫哲也、木村太郎と久米宏について語っていた。 「当時、筑紫さんがやってたNEWS23があって、あとはフジテレビで木村太郎さんがニュースJAPAN、久米宏さんがテレビ朝日でニュースステーションをやっていた。それで、僕は筑紫さんの番組のパロディみたいなことをやっていた」 「筑紫さんは随分あとになってお会いしたんですけど、木村太郎さんと久米宏さんはその頃にお会いした。その時に、みなさんそれぞれコラムみたいなことをやっていた。木村太郎さんに、『自分のああいうコラムみたいなものは、その日その日、変わっていくものじゃないですか。後でチェックしてみたら、実際は違った、みたいなこともあるんじゃないですか?』って訊いたことがあった」と話していた。 木村太郎と久米宏、そ

    爆笑問題・太田 「報道番組のキャスターを語る」
  • 伊集院光 「三遊亭円楽の通夜に参席する」

    2009年11月09日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、三遊亭円楽の通夜に出席したことを明らかにしていた。 伊集院光は三遊亭円楽の弟子、楽太郎の元へ弟子入りしている。言うならば、伊集院は円楽の孫弟子にあたる。その円楽師匠が亡くなった、ということで通夜に出かけたそうだ。 だが、最初から通夜に行こうと思っていたわけではないそうだ。「通夜がおこなわれた日、千葉にドライブに出かけた。テンション上げてね。それは、あまり通夜のこととかを考えたくないから。でも、日シリーズを観る前のニュースで、そのことが報じられていた。それで、また考えてしまったんだよね」 「そうしたら嫁さんが『行くんなら、送っていくけど』って言うんです。でも、冗談じゃない。どのツラ下げて行くんだよって話ですよ。それで、行かないって言って、日シリーズをまた観ようかと思った」 「でも、日ハムが初回で三者三振してたんです。だから、この

    伊集院光 「三遊亭円楽の通夜に参席する」
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