高木仁三郎氏は核化学者として、 核の平和利用をと考え、原子力開発に携わってきた。 1961年日本原子力事業株式会社に就職。 原子炉内部での放射性物質の研究に取り組む。 原子炉内部で多様な種類の放射性物質が生成されることを把握する。 それを学会等で発表することに会社には嫌がられる。 炉水の汚染みたいなことを発表するなと。 原子炉の汚染を公表したくないと。 自ら創設した高木学校の第一回講演会でこう述べる。 「確かに知識は増えた。 科学の進歩を一概に否定するつもりはない。 しかし同時に未知の領域も広がる。 真っ白な未知の世界ではなくどうも未来が暗い。 暗黒を含めたような未知の世界が広がっている。 科学とはそういうもんだと思う。 知れば知るほど色んな問題が見えてくる。 こちら側を担ってくれる科学者が ほとんどいないし、予算も付かない。 私が高木学校をやりたいのは、 こっち側をやる人達をつくりたいし