休みってひまだ --- ださい広告でこういう絵を見る。 顔を切り抜いて乗り物とか体のイラストに貼ってある。これだけで台無しになるインパクトがある。こわい乗り物に顔を貼っても台無しにしてくれるんじゃないか。 ステルス イージス艦 あんまり面白くならなかった。こういうむだなことができるのもゴールデンウイークならではですね。 からだ描いたほうが面白かった。
休みってひまだ --- ださい広告でこういう絵を見る。 顔を切り抜いて乗り物とか体のイラストに貼ってある。これだけで台無しになるインパクトがある。こわい乗り物に顔を貼っても台無しにしてくれるんじゃないか。 ステルス イージス艦 あんまり面白くならなかった。こういうむだなことができるのもゴールデンウイークならではですね。 からだ描いたほうが面白かった。
誰が「赤ちゃんポスト」という名前を付けたのだろう? そしてマスコミはなぜこの名称を続けているのだろう? 誰が「赤ちゃんポスト」という名前を付けたのだろう? そしてマスコミはなぜこの名称を続けているのだろう? すごく単純な問題かもしれないが、ざっと調べた範囲では名称の由来はわからなかったし、なぜマスコミがこの名称をそのまま使い続けているのかもわからなかった。どうにも変な気分がするので、些細なブログだけど問題提起しておこう。あるいは単純明快な答えがコメントでいただけたら幸い。 ネットを見ると同様な疑問を持っている人が多数いる。新聞などにも投書があったらしい。三月一〇日付け産経新聞”【風】「赤ちゃんポスト」の名称に反対”(参照・キャッシュ参照)ではこう。 「赤ちゃんポスト」の名称について、大阪府阪南市の70代の男性から意見が寄せられた。 《貴紙では「ポスト」の表記は中止していただけませんか。命の
エチオピアで中国系油田が襲撃される事件があった。このニュースは日本で報道されなかったわけではないけど、ダルフール危機問題と同じで中国様が絡むとなると、なんとなくその問題はできるだけ触れないでおこうオーラが漂ってくるのかなと感じた。まあ、なんとなく感じたくらいの主観にすぎない。が、少し私が知るくらいのことはブログに書いておこうか。 まず共同の報道の手口はこう。標題がちょっとわかりやすすぎなのに、背景がわかりずらいのが絶妙。四月二五日付け”「非道で残虐」と非難 油田襲撃でエチオピア首相”(参照)。 エチオピアからの報道によると、同国のメレス首相は24日、同国東部の油田施設が武装グループに襲撃され、中国人9人を含む計74人の作業員が殺害された事件について「非道で残虐な行為」と非難、警備を強化するとともに事件の調査に全力を挙げると述べた。 たしかに「非道で残虐な行為」だが、それにしても「同国東部の
2007年05月02日00:10 カテゴリ 映画「バベル」上映を中止すべきだ。 映画「バベル」の光感受性発作の被害が拡大している。光感受性発作は一度経験すると次からより引き起こされ易くなるという傾向がある。「バベル」を観て、めまいを起こしたひとが、次に自動車の運転中に、対向車のヘッドライトの光で、気を失うという可能性もあるのだ。そういった意味からも映画「バベル」は、より深刻な社会的リスクを引き起こす可能性を持っている。 映画「バベル」は、上映を一度中止し、問題のシーンを削除した上で、再度上映しなおすべきだ。海外での発作の例が報告されていないので、深刻ではないとするのは、危険だ。光点滅による発作は、昨日書いたように、単なる視覚野刺激の強度以外に、脳波レベルのバイオフィードバック強度と、映画全体における臨場感強度といった、ホメオスタシスフィードバック強度そのものが深くかかわっており、日本人が日
2007年05月01日15:17 カテゴリ 映画バベルでの体調不良は「光誘発性発作の可能性が高い」 映画バベル上映で観客が体調不良となった理由は、光誘発性発作の可能性が高い。かつて1997年にあったいわゆる「ポケモンパニック」の時と同様の可能性が高い。ただ、ポケモンの場合は、α、β領域の光点滅の繰り返しによる問題であったが、「バベル」においては低層アルファとシータ領域における点滅が引き起こした問題のようだ。従って、発作というよりは、吐き気やめまいという症状となったと推測される。もちろん、観客層が大人だったので、問題は小さかったが、低層αやθ領域でも、子供には発作を引き起こす可能性があり、そのままテレビやDVDにすべきではない。光点滅以外にも、問題のシーンであるクラブ内の音楽の大音量と、無音状態の繰り返しという臨場感問題もポケモンの時の臨場感問題の時と同様複合的に作用した可能性もある。 ポケ
雑記 | ちょっと古い話題で恐縮だが、私も何人かから「フツーに旨い」とか「フツーにスゴイ」の意味について聞かれる機会があった。それで分かったのは、この言葉のニュアンスを理解して使えているのは、30代くらいが限界だということだ。50代だと意味を理解できなくて、40代くらいの人は無理して使っているか、下の世代への理解を自覚して使っているように思える。もちろん、これは私が個人的に会話した経験則に基づくもので、業界や個々人の価値観によって差はあるのは言うまでもないが、大体、他の人にも共感してもらえるのではないかと思う。 そもそも、「フツーに」というのは、多様化した価値観をニュートラルに戻すための言葉である。 この言葉を使う世代は、「ネタ的にアリ」「テレビ的にOK」「ある意味スゴイ」と、自分の価値とは違っても、それを許容することを可能として育ってきた。肯定の価値基準が極めて多様で、「ある意味そ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く