3年前、広島と長崎で二重被爆をした山口彊さんを取材した。 ここ数日、滅多に夢を見ないにもかかわらず、山口さんがどうにも現れて仕方ない。 訝しんでいたら、今朝亡くなったことを知った。 ドラマ等で再現された被災した直後の人々は阿鼻叫喚を地でいくように、のたうち回り、大声をあげている。 だが、山口さんの証言で怖気を震ったのは、川沿いの道を向こうから、 おそらく教師であろう人を先頭にした小学生の一団が指先から爛れた皮膚を垂らしながらこちらに向かって来、 すれ違いざま、「うめき声すら聞かなかった」と述べたときだ。 川面は炎の赤にそまり、水を求める人々が殺到し、もがきやがて沈んで行き、翌日その川を人間が筏のように流れていったのを見たという。 自身の痛みを、我が身の不幸としての嘆きにすることなく、それでいて抽象度の高い言葉に自身の体験を委ねることなく、戦争と平和についての思いを語られていたのが印象的だ。