ブックマーク / the-cruelty-of-fate.hatenadiary.org (3)

  • 山口彊さん - 一切方法序説 尹雄大

    3年前、広島と長崎で二重被爆をした山口彊さんを取材した。 ここ数日、滅多に夢を見ないにもかかわらず、山口さんがどうにも現れて仕方ない。 訝しんでいたら、今朝亡くなったことを知った。 ドラマ等で再現された被災した直後の人々は阿鼻叫喚を地でいくように、のたうち回り、大声をあげている。 だが、山口さんの証言で怖気を震ったのは、川沿いの道を向こうから、 おそらく教師であろう人を先頭にした小学生の一団が指先から爛れた皮膚を垂らしながらこちらに向かって来、 すれ違いざま、「うめき声すら聞かなかった」と述べたときだ。 川面は炎の赤にそまり、水を求める人々が殺到し、もがきやがて沈んで行き、翌日その川を人間が筏のように流れていったのを見たという。 自身の痛みを、我が身の不幸としての嘆きにすることなく、それでいて抽象度の高い言葉に自身の体験を委ねることなく、戦争と平和についての思いを語られていたのが印象的だ。

    山口彊さん - 一切方法序説 尹雄大
  • マザー・テレサのリアルタイム - 一切方法序説 尹雄大

    マザー・テレサにあるインタビュアーがこう問うた。 「当にあなたのやっている方法で人々を救えるんでしょうか?」 すると彼女は間髪を容れず返した。 「昨日は過ぎ去った。明日はまだ来ていない。そして私はここにいて、あなたといましゃべっている」 ある種の人はこれを禅問答のように、あるいははぐらかしとして見てとるだろう。 インタビュアーの問いには、どこにもいない仮想された他人の経験との比較を通じた正しさが、いまここにいる私を離れ、客観的なものとして存在するという考えに基づいている様が見て取れる。 インタビュアーは想定の話をしている。マザーテレサはリアルタイムの話をしている。 いったいどちらが現実を生きているだろうか? 彼女には不安の忍び入る余地がない。もしもという想定がないから。

    マザー・テレサのリアルタイム - 一切方法序説 尹雄大
    summercontrail
    summercontrail 2009/12/07
    "インタビュアーは想定の話をしている。マザーテレサはリアルタイムの話をしている。"
  • 0.5秒前 - 一切方法序説 尹雄大

    脳神経学者のベンジャミン・リベットの行った実験で明らかになったのは、 目前のコーヒーカップを取ろうといった具合に、 「何かをしよう」と思った0.5秒前には、すでに神経活動が始まっていることであった。 この事実にアメリカ人は驚いたという。 なぜなら自由意志が人間には存在しないのではないか?という問題は、 彼らのアイデンティティに関わるからだ。 フロンティアは、個人の自由意志を礎に開拓されてきた。建国の根幹に関わる精神は何が担保するのか? 自由意志決定は行われておらず、意志とは脳内過程の後付けに過ぎない。 それが意志や自我の真の姿だ。 私たちが確かだと思っている世界は0.5秒前の姿だ。 人は現実を認識してはいないのだ。 この事実を隘路と受け取り、頭を悩ますことが知的誠実さに見えるかもしれないが、 そもそも「何かをしようとして行う」ことが自由な意志なのだろうか。 自分にとって確信された何かをあえ

    0.5秒前 - 一切方法序説 尹雄大
    summercontrail
    summercontrail 2008/10/14
    "「何かをしよう」と思った0.5秒前には、すでに神経活動が始まっている"あちこちで言われている話ですね/自由であるというのは、幻影としての自己の自由意志の尊重でなく、運命を愛するということでもあるcf.予定説
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