荘子は先秦(戦国時代)における最も特異な思想家のひとりである。 彼は孔子を祖とする「儒家」の人々が強調する仁義道徳をこざかしい人 間の作為として排斥し、あるがままにあること――「自然」を愛し、何 ものにもとらわれることのない精神的自由の境地――「道」の世界にあ こがれをよせた。しかも彼はその思想を、彼一流の風刺や皮肉や寓言に 託して表現したのである。その著『荘子』の中の「天地篇」にあるこの 話も、そうした彼の「寓言」の一つとして読むべきであって、むろん史 実ではない。 その昔、聖天子として聞こえの高かった堯が、華の地方に巡幸された ときのことである。その地の関守役人がうやうやしく堯の前にまかりい で、ご挨拶を申し上げた。 「おお聖人さまよ。謹んで聖人さまの将来をお祝し致します。まずは あなた様の御寿命の幾久しくあられますように。」 「いやいや。」 堯は思慮深げに微笑みをたたえながら答えた。