「藁人形(straw man)論法」という言葉があるが、日本では「議論において相手の主張を歪めて引用し、その歪められた主張に対して反論するという誤った論法」というような説明がされることが多いようだ。これは必ずしも間違いではないが、相手の主張を「歪曲する」というところに主眼を置くと若干ニュアンスがずれるというか、なぜ「藁人形」や「カカシ」になぞらえるのかが分かりにくくなるような気がする。 歪曲といっても、相手が白と言っているのを黒だとねじ曲げる、実際には言っていないことを捏造するということだけを問題としているのではない(そういうのも含まれるけれど)。むしろある主張のうち、いちばんトンマなバージョンを選んで攻撃することで、本当の意味では論破できていないのだが、論破したような気になる、というやり口が主眼だ。それが、生身の人間ではなくニセモノのカカシを撃っていい気分になるというたとえとつながる。
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