2016年12月26日のブックマーク (4件)

  • 怒鳴る人に「格差問題」を感じる

    ドミノピザがパンクして客が怒鳴ったっていうニュース。 こういうのを見ると反射的に「品がない」と思ってしまう。 怒鳴る人って、どういう人生を送ってきているんだろうか? 自分の周りに、怒鳴る人はいない。怒るとしても声を荒らげず、淡々と行う。 周りにいないどころか、怒鳴る思考もわからない。 怒鳴ったところで、何も解決しない。疲れるだけで、コストに見合わない。 そもそもそれほどの怒りが湧いてこない。 それは自分がいい大学、いい会社という人生を送ってきたからんじゃないかと思う。 怒鳴る人がいるのって、牛丼屋だったり、安売りセールだったり、やはり「底辺」を感じられるところだ。 教育の差、生活の余裕の差だと思う。 となるとこれは、格差問題だ。 生活に余裕がないと、心が荒み、怒鳴るようにある。 あるいは教育を受けていないと、コスト計算が出来ず、怒鳴るようになってしまう。 そう考えると怒鳴っている人っていう

    怒鳴る人に「格差問題」を感じる
    suna_kago
    suna_kago 2016/12/26
    もう少しパースペクティヴを広げて言えば、まあ、自分自身を「弱者・被害者」あるいは「その味方」だと考えている人間は簡単に暴力的になれるということだと私は思う。
  • ゼロ年代批評はレイシズムとどう向き合ってきたか? - ギロチン

    日 (6月3日) ヘイトスピーチ法が施行された。法が主に与党案を叩き台にして纏められた理念法であり具体的な罰則規定がないことや、表現の自由の問題、また刑訴法の改悪などの不安事項が重なったこともあってか、法制化の先頭に立った当事者とその関係者以外から、必ずしも支持されてないのは分かる。しかし、それまでネット内外を問わずに、野放し状態だったヘイトスピーチやレイシズムを抑止する第一歩として評価してよいのではないだろうか。 さて、ここで題に入りたいと思うが、ネット上の流行りでしかなかった嫌韓ブームから、ヘイトスピーチが社会問題化するまでに、はてなSNSなどでの反応、またネット言論に多大な影響力を与えたゼロ年代批評は、どのようにレイシズムを見てきたのか探りたいと思う。 「ゼロ年代批評」 とだけ言っても大雑把に聞こえてしまうかもしれないが、ここではゼロ年代批評の主要人物である東浩紀や宇野常寛を

    ゼロ年代批評はレイシズムとどう向き合ってきたか? - ギロチン
    suna_kago
    suna_kago 2016/12/26
    いわゆる「ゼロ年代批評」を全面擁護する気はないが、代わりにこの人が肯定する集団はそれ以下だという気がしてしまう。難しいところだけれどヘイトスピーチ規制法には私は賛成できない。
  • ドリルって何だよ!?

    夏のドリルとか 算数ドリルとか 何で子供の頃は謎用語を素直に受け入れてたんだよ!

    ドリルって何だよ!?
    suna_kago
    suna_kago 2016/12/26
    英語でdrill は「訓練」「教練」「演習」といった意味がある。ここから主に学習に使われる問題集を指すようになったということらしい。火災訓練はファイヤードリルw
  • 私を強姦した奴に、不幸になってほしいとは思わない。

    帰宅したら知らない男が私のお気に入りの包丁を握って、チキンソテーを作っていた… のではなく包丁で脅され犯されました。 ​私は警察に通報して起訴、裁判が終わるまで 調書の作成などをする日々が続きました。 起訴するための書類には、私が話した内容を元に刑事が私の気持ちを考えて 勝手にやや詩的な文章を作成してくれます。 裁判員の同情心を煽るような感情を交えながら事実を述べつつ 「犯人にはできるだけ重い刑を望みます」といったことが書かれますが 正直なところ判決の内容には興味がありませんでした。 奴のことが許せないだとか、不幸になれだとか、そのような感情は不思議と全くありません。 奴が牢の中でイイ子にしているかどうかのレポートが定期的に送られてくるのですが 評価が悪いとがっかりします。どうか更生してほしいと思うのです。 私は自分よりラクして幸せになる人を見ると不快になるようなイマドキの卑屈な人間なので

    私を強姦した奴に、不幸になってほしいとは思わない。
    suna_kago
    suna_kago 2016/12/26
    たしかに、加害者を罰することと被害者を救うことは基本的には別の事柄だと思う。この2つがイコールと見なされることで、結果的に被害者の救済が遅れることもある。