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ラカンに関するsunagiのブックマーク (5)

  • ラカンはこう読め! - 最果て系×××れたセカイ

    ラカンはこう読め! 作者: スラヴォイ・ジジェク,鈴木晶 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店 発売日: 2008/01/30 メディア: 単行 購入: 8人 クリック: 216回 この商品を含むブログ (83件) を見る ジジェクの新刊で、大変分かりやすいラカン入門かつジジェク入門といえる一冊。 まあ、今までの著書で出てきたラカンの解説のネタをわかりやすく一まとめにしたという感じで、なんだかんだいってあまりジジェクがよくわからなかった僕にとっては大変嬉しいでした。 イデ崇と操り人形しか読んでない僕でも、見たことのあるネタもたくさんあったわけですが、しかし、初めて見るネタもあって、中でもネクロフィリアに関するネタが個人的にはちょっとツボに入りました。 サイバースペースのこの側面、すなわち、付き合うのは現実の人間でないのだから、誰にも嫌がらせすることなく自分のもっともみだらな幻想を思い切り

    ラカンはこう読め! - 最果て系×××れたセカイ
    sunagi
    sunagi 2008/02/03
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  • ボロメオの結び目(ジャック・ラカン) - ももち ど ぶろぐ

    「三位一体モデル」の基底にあるものとしてのラカンの「ボロメオの結び目」の理解。つまり人間の三つの界のトポロジーとしての理解。 ラカンは難解だといわれているが(たしかに難解だけけれども)、想像界、象徴界、現実界の成り立ちぐらいを概観的とらえれば、この三つの輪のトポロジーの意味するところの理解は十分なのじゃないだろうかと(私は)思う。 べつに精神分析をやろうとしているわけじゃないしね。(笑) なので以下概観的に。 鏡像段階 (写真:ロラン・バルト:『彼自身によるロラン・バルト』:p25―鏡像段階「お前が、これだよ」―) まずは、〈想像界〉である。 それは、お母ちゃんのおっぱいを飲みながら、うんことおしっこ垂れ流しの幸せな記憶だ。そして人間が人間として育つのなら避けられない段階でもある。 それは、私たちが、どうしても〈つながりたい〉という気持ちをもってしまうことや、子宮的構造に惹かれてしまう根源

  • 数学屋のメガネ:ラカンの言説の一流性 1 - livedoor Blog(ブログ)

    はてなの日記「■[雑文]難解な文章について」に、わどさんからコメントをもらった。それに対する返事として僕は次のようなことを書いた。 「大江源三郎氏の文章がわかりにくいのは、4つほどの仮説が考えられます。1つは、大江氏が、情緒の人で、論理よりも情緒が先行してしまうので、より情緒的に強く感じたものから順に表現してしまうため、論理性が失われてしまうという可能性です。 2つ目の可能性は、基的な文章表現能力の問題です。分かりやすいという技術的なものを持っていないために分かりやすい文章が書けないと言う単純な理解です。 3つ目は、ワザとわかりにくく書くという意図的なものです。内田樹さんによれば、読者に対する気づきを喚起するための技術として、ワザとわかりにくく書くという事があるようです。大江氏もそのようにしていると考えると、文法的には間違っていないけれど、わかりにくく書くという事があるかも知れません。

  • なぜラカンは最強なのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ■ラカンの呪縛 美大生 無垢(未知)への欲望、フロンティアが対象a、享楽だとすると、秩序(既知)への欲望、ホーム、つまりノスタルジーはラカン的には何?単なる欲求? ぴかぁ〜 なぜ無垢(未知)を欲望するのか。無垢を秩序(既知)へと変えるためです。これが対象aです。無垢への欲望と秩序への欲望は裏表なのです。 ボクは「偶有性から単独性への転倒では神性が捏造される」と言いました。すなわち「デリダも必ず恋をする」のです。すなわち脱構築し続けることの不可能性です。それは、「ボクは誰でもない唯一のこのボクだ。」という承認です。 それに対して、「単独性から偶有性へのリバース(反転)」が起こります。「デリダも必ず恋をするが、恋は必ずいつか冷めるのです。」捏造された神性が、暴露されるのです。完全なる「ボクはこのボクだ。」という承認は、終わり(死)です。だからリバース(反転)するのです。リバース(反転)によって

    なぜラカンは最強なのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 統合失調症とスキゾイド

    メモがわり。 <統合失調症=分裂病=スキゾフレニー>と<スキゾイド=分裂病質>は別物だ。 統計的にも両者の症状に因果関係は認められない。 何当たり前のことを、と思われるかもしれないが、ブログだしいーじゃんよー。 じゃーなんでそんなややこしい名前になってんのさ? と思うわけだ。普通は。思わない? このブログの人とかそう思っているみたいなので、そういうものとしておこう。 っていうのは、この両者の症状の雰囲気、イメージが似ているからだ。だから、分裂病質→分裂病、みたいな「感じ」じゃね? と思われていたらしい。もちろんそれは医学的に研究され、分裂病の発症前の状態は全くスキゾイドのそれと違うことがわかったけど。 んで、その器質的なものを排除して、私なりにその違いを(ラカン的精神分析の文脈で)考えてみたのです。それが自分でおお、と思えたので、メモしとこうかな、という記事です。 まず、人間の主体(エス)

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