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日本から飛行機で約4時間で到着する香港は、古くから金融や流通の中心地であったことから世界中からさまざまな文化が押し寄せて独特の発展を遂げてきた都市です。1842年にイギリスに割譲されてから長らくは植民地としての位置づけでしたが、1997年に中国に返還されて「中華人民共和国香港特別行政区」と名称が変更されてからもその色合いは色濃く残されています。今回は取材で香港を訪れる機会があったので、かなり中国色も強まってきたという声もある香港の一部を体験してきました。 ◆チョンキンマンションの格安ゲストハウス 今回の宿泊先は、沢木耕太郎の小説「深夜特急」にも登場し、安宿が集まっていることでも有名なチョンキンマンションの中にあるゲストハウスでした。 チョンキンマンションは、香港の中心地の一つである尖沙咀(チムサーチョイ)のど真ん中にそびえ立っています。 有名なスラム街だった九龍城砦が取り壊された今、チョン
即席麺「出前一丁」が香港で品薄状態に陥っている。「高品質で安心」のイメージがある香港製の人気が、中国本土で高まっているからだ。日清食品ホールディングス(HD)は、新工場を香港に建設し、本土への「出前」を強化する。 出前一丁の香港での人気はすさまじい。「『出前一丁』という商品名が、香港では即席麺の代名詞のようになっている」(広報担当)ほどだという。 「出前一丁」が日本国内で発売されたのは1968年。香港では直後に日本からの輸入品が売り出され、85年からは現地生産を始めた。日本と共通のキャラクター「出前坊や」の人気もあり、香港の即席袋麺の市場ではシェア4割を誇るトップブランドに成長した。茶餐庁(チャーチャンテン)と呼ばれる香港に約4千ある軽食店の9割でメニューに並び、ハムやザーサイを加えた出前一丁を食べて出勤する人も多いという。
「香港映画の父」、ランラン・ショウが亡くなった。数えで107歳。大往生である。 彼が生まれた1907年は辛亥革命(1911年)前夜の清朝末。紡績業を営む裕福な家庭に生まれ、上海でアメリカ人が開いていた学校で学んだ後、10代の頃から長兄が作った映画会社で働き始めた。その後、映画市場開拓のために三兄とともにシンガポールに移住。映画館を買収するビジネスに乗り出し、さらに映画製作を始める。長兄の会社は戦時中に香港へ移転。1958年に彼がそれを引き継いで香港で「ショウ・ブラザーズ」を設立した。 ショウ・ブラザーズはカンフー、任侠、お色気コメディ、そしてアクション映画と徹底的に庶民ウケする映画を作り続けた。そしてそれらは香港だけではなく、台湾や東南アジアの華人・華僑社会でも人気を博し、東南アジアの共通娯楽になった。1959年からは「ミス香港コンテスト」を主催して勝ち抜いた歴代ミスたちをそのまま映画に投
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