冷蔵庫に入りきらないって、どんなのか見たい?。ジャ~ン!これだよ~ん!。緑色がインゲン、左のオレンジ色のが5個400円の柿、右の黄色いのがカボチャ、その後ろの小さな包みは...?。じゃじゃじゃジャ~ン!農協のキャラメル、どだ!、まいったか?。なんちゃって。 こんなに買ってこなくていいと言われた
![余計な物まで買い過ぎ! とよく言われる - ji-iのんべえ爺さん自転車に乗る](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/075fd24090904388445be59816a9d8097eae17b6/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fj%2Fji-i%2F20211108%2F20211108155157.jpg)
また来ました、西野川の野菜直売所。今回は3本210円のキュウリだけ。実はこの二日前にも来ている。その時はたくさん買って帰ったので冷蔵庫に入りきらないと苦情が出た。 西野川の野菜直売所
前のお地蔵様を違う角度から撮ったもの。坂道の途中に置かれているが何か所以があるのだろうか?半ば壊された石仏...供えられた菊と百合の清楚な姿が憐れみを誘う。花を手向けた地元の方々の優しい気持ちが昨今の殺伐とした風潮に一服の清涼剤となって心を潤してくれた。 供えられた花は地元住民の気持ち
影が面白くて自転車を立て掛けてみたが、あまりにも堂々と目の前に置きすぎたかも知れない...。住民同士で掃除の取り決めでもあるのだろうか道が大変綺麗。うちの近所とえらい違いだ。このようなところに住める人たちが羨ましい。東京近郊の住宅地にもこういった新しく出現した近未来都市...風なところは多い。だがしかし、駅から遠かったり、スーパーも病院も役所も遠かったり辺鄙なところが結構多い。ここは駅から約1km前後、途中もケヤキの街路樹が好ましい木陰を作る優しい環境、歩道も広くて歩きやすい。ただし一つだけ爺にも言わせて欲しい!。川崎市宮前区の例に漏れず往きも帰りも坂だよ!。年取ったら電動アシスト付き自転車がいるぞぉぉ!。 住み心地の良さそうな住宅街
深まりつつある菅生緑地の秋、すっかり陽が斜めに差すようになった林の中の道を落ち葉を踏みしだいて歩いてみた。靴にまとわりついた落ち葉がカサカサと音を立てて追いかけてくる。家路を急ぐサイクリストの後をいつまでもついてくる。カサコソ、カサコソといつまでも......。 枯葉の家路
桃の里の帰り美しが丘三丁目から再び水沢の森に寄ってみた。住宅街にある木造のベンチに可愛らしいお姉さんが座っていたので図々しくもモデルさんをお願いしてしまった。前回よりさらに枯葉が床に舞い落ちている。二言三言いきさつを話しお礼を言って立ち去ることにした。 再び水沢の森に寄ってみた
公園を出て北西方向に走り平津三叉路を左折、保木入口交差点は直進。大久保酒店(特に目新しい酒はなかった)の先の路地を左に入る。このあたりのことは今年4月24~25日の記事に述べた通りだ。ここからがちょっとややこしい。路地を左に入って二つ目の路地を右折、すぐ10mぐらい先の路地を左折。すると...な、な、なんだ!なんだ!この坂!、車でも上るのに苦労しそうな急坂が現れた。自転車の右の青い扉、この水平面と地面の傾斜の差がものすごい!。 突然急坂が現れた
3月27日月曜日宿を出ると生憎の曇り空、走り出すとすぐポツポツ降ってきた。今日から走る方向が東に変わる。旅程も半分過ぎた訳だ。国道1号線に出ると見覚えのある所に来た。汐見坂だ。3年前の1964年奇しくも同じ3月27日、父親の転勤で兵庫県西宮市浜甲子園から東京都世田谷区に引っ越してきたとき、伯父と母親が交代で運転するヒルマンミンクスでここを通った。左カーブを下りてくると真っ青な太平洋が正面に広がり感激したことを思い出す。今日は残念ながら雨、晴れていればもっと良かったな。午後2時浜松市に到着。叔父の保養所一覧表には契約旅館がなく転勤者の寮ならあるらしい。行ってみると立派な建物!今日は久しぶりに良いところに泊まれそうだ。もう部屋の傾いたキャラメル強奪の木賃宿はこりごりである。 蒲郡海岸にて
木曽福島の旅館で夕食後、旅館の小学生の兄弟が部屋に入ってきて「どこから来たの?」とか「お兄ちゃんの自転車何段ギヤ?」など色々聞いてきた。女将さんに追い立てられて夜9時過ぎには部屋から出ていったが、その夜二階で走り回る音がする。翌朝女将さんに「お宅の子供さん二階で夜遅くまで元気ですね」と皮肉ったら「お客さんの部屋の上には二階はありませんよ」と怪訝な顔をしている。「でも夜中にガタゴト大きな音でしたよ」と教えてあげたらすまなそうな顔で「また出ましたか?」。背中が凍り付いた。朝食もそこそこに逃げるように宿を後にした。9.5km先、寝覚ノ床に立ち寄ってみたが大きな岩がみんな化け物の顔に見える。だいぶ刷り込まれてしまったようだ。 何を見ても化け物の顔に見える 寝覚めの床
2009年に訪れた旧鳥居トンネルの画像が何枚かあるのでご紹介します。これは旧鳥居トンネル藪原側出口を出てすぐのところ。前方に水道設備のようなものが見えるがその先に爺が1967年3月23日、腰掛けて昼食を摂った開道記念碑(昭和30年...1955年建立)がまだある。右の方に細い道が見えるがこれは後から付け足したもののようだ。昔の国道は黄色いセンターラインが中心で当然ながら左右同じ幅でゆるく右にカーブして下っていく。 旧鳥居トンネル藪原側出口を出てすぐのところ
車が動き出した。爺は車列の最後にトンネルに入った。中は真っ暗で排気ガスが充満しており喉がイガイガする。長さ1111mもあるこのトンネルはなかなか出口が見えてこない。5分ほどしてようやく出口が見えてきたと思ったら車が対向してきた。まだ通過中だよ!交互通行じゃないのか?、自転車だと思ってバカにされたようだ。トンネルを出ると雪も小止みになり一安心。画像は1967年3月23日の旧鳥居トンネル藪原側出口。 旧鳥居トンネル藪原側出口 1967年3月23日
旧鳥居トンネルの手前200m付近。左下の道は伊那に抜ける権兵衛街道。この画像では奈良井川の左岸を通っているが、現在の権兵衛街道は国道493号線と名を変えて奈良井川の右岸に付け替えられている。旧権兵衛街道は現在廃道となっているが、よく見ると奈良井川の左岸に細々と獣道と化した小径が見つかると思う。また1.2km先の奈良井ダムで旧道は途切れるがその後も左岸に踏み跡を残したまま上流へと続き、国道19号線神谷入口から延びてきた国道361号線(別名姥神道路)との交差点から奈良井側に200m戻った地点で新権兵衛街道(国道493号線)と合流している。もちろん権兵衛街道の旧道は現在は通行できない。 旧鳥居トンネルまであと200m
楢川から5~600m進むと平沢の街、そこから2km足らずで奈良井の街に入る。旧中山道の奈良井宿も寄ってみたかったが悪天候のためあきらめた。画像のガソリンスタンドの先で上着を一枚余計に羽織り、タオルを首に巻く。じっとしていると寒さがしんしんと体を締め付けてくる。坂はそれほどきつくない。洗馬~奈良井間の距離17kmだが標高差は洗馬の780m、奈良井の920mで140mしかない。現在このあたりの国道19号線はカーブを削ったり埋めたりしてなるだけ直線になるように修復されている。画像のガソリンスタンドはカーブの外側にあり、5mほど川が埋められて道路が左に移動したため、ガードレールの奥に置き去りにされ半ば遺跡化している。今は名残の白い塀で54年前ここにガソリンスタンドがあったらしいと辛うじて分かる。 今は遺跡のようになってしまったガソリンスタンド
標高952mの富士見峠からの下りは覚悟はしていたがやはり寒い。短パンを途中で履き替えるべきであった。韮崎からほとんど上りの連続だったので寒さを感じなかったのだ。下り坂の勾配は丁度良い。ブレーキを掛けなくても程よいスピードのまま走っていける。信濃金沢まで下りてくると傾斜が緩くなって、ペダルを漕がないとスピードが乗らなくなる。茅野市に入る手前の上川を渡るとき雪をかぶった八ヶ岳の荘厳な姿が目に飛び込んでくる。12時半駅前の土産物店兼食堂で昼食を摂る。上諏訪で中央線の線路を横切り、下諏訪の街で中山道と合流すると少しずつ塩尻峠の上りが始まる。そのうち空が曇ってきて風も強まり横殴りの雪となった。 吹雪の塩尻峠からかすかに見えた諏訪湖
このあたりの地形はダラダラ坂を上って川を渡ると少し下りになる。また坂を上って川を渡り少し下る、を繰り返して高度を上げていく。下教来石のバス停を過ぎると蔦木はもうすぐだ。下蔦木で国界橋を渡ると前年1966年8月睡眠不足の強行軍でバテて、ブナの大木の根方でひっくり返ったことを思い出す。画像は瀬澤大橋の先500mにあるヘアピンカーブからさらに1kmほど上ったところ。左から細い道が合流してくるが、この道の向こう側の谷間に旧甲州街道が通っている。ここから約2kmで富士見峠だ。当時は富士見峠という地名はなかった。信号機の下の看板に無造作に「富士見」と書いてあるだけだった。 富士見峠まであと2km
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