何事もうまくいっていて幸せな人は 他人に危害を与えたり 迷惑をかけたりしません そういう人は 喜びを感じながら いいことをします だから 周りから良い反応が返ってきます すると、さらに良いことをしたくなります このように 充実感のある人は 周りにも幸福の影響を与えて 安全に生きていられるのです 喜びと充実感を感じることが 社会の安全につながるのです
何事もうまくいっていて幸せな人は 他人に危害を与えたり 迷惑をかけたりしません そういう人は 喜びを感じながら いいことをします だから 周りから良い反応が返ってきます すると、さらに良いことをしたくなります このように 充実感のある人は 周りにも幸福の影響を与えて 安全に生きていられるのです 喜びと充実感を感じることが 社会の安全につながるのです
生きるとは 互いに協力し合うことで成り立っているのです 「お互い様」 なのです 生きることは他人の世話になることであり 自分も人の役に立っていることです そこがはっきりわかっていれば 成功を収めることができます
私たちは 大自然から 他の生命から 多大な布施(恵み)をいただいて生きています 一方的にいただくばかりで 返そうという気持ちはなさそうです それでは 人生は借金ばかりです 多重債務を抱えて 不幸になるに決まっています たとえ小さくても良いから 大自然と全ての生命に何かをお返ししましょう できる範囲で 少しでも債務を減らそうではありませんか
人は、何かしら他と関係を持って生きています 生きているということは 関係性です その関係性の中で 何か「役に立つ」ことが大切です 「役に立つ」といっても 決して大それたことではありません お茶を入れてあげたり 微笑んだり ちゃんと挨拶するとか そういった小さなことなのです それによって 人の気持ちを穏やかにさせたり 気分良くさせることが 「役に立つ」 ということです
ゴキブリにもアリにも 堂々と生きる権利があります 私たちは その権利を奪うことはできません 他の権利を奪えば 自分にも権利がなくなってしまいます しかし 私たちは、石や土は食べられません 他の生命を奪わなければ 生きていられないのです 生きるということは 他の命を奪っていることです 生きるということは それほど立派なものだと思わないほうがいい むしろ 恐ろしい行為だと気づくことです
仏教は 「得る道」 ではなく 「捨てる道」 を教えます 捨てる生き方を歩もうとすると 身も心も軽くなって 楽な気持ちがずっと続きます 「得る道」 は、依存を増幅する道です 不自由な道です 「捨てる道」は、 自由を獲得する道です
観念的に、 「欲しい」 というのではなく、自分に本当に必要であれば そのものは簡単に手に入るのです 必要なものは、 自分で獲得する能力が備わっているからです 必要でないものを 「欲しい」 と、頑張るから うまくいかないのです 具体的に必要であれば しっかりと頑張れるのです あたふたしなくていいのです
人は、必ず死にます そして、いつ死ぬのかわかりません 今日かもしれません 明日かもしれません 「今日、死んでも大丈夫か」 と、いつも念じて暮らしていると 平和な生き方ができるようになります。 「今死ぬかもしれない」 と思うと、 ものを集めたり 人と争う気持ちはなくなります
ものを持たない生き方が素晴らしいのです 何もないことを喜べるのが、理想的な人格なのです ブッダが、比丘たちに言いました 「鳥たちはどこに行くにしても、自分の翼だけを持って行く 何も荷物はない しかし、どこにいても完璧である だから、比丘たちも三衣一鉢だけでいいのだよ」と。 何も持たない生き方は、 どこにいても自由で 何もかけるところがないのです
ものを捨てるときは、いい気分で捨てましょう 「捨てるのはもったいない、申し訳ない」 という気持ちもわかりますが 「解放されたぞ」 という気分で スッキリ捨てましょう
諫暁八幡抄 (かんぎょうはちまんしょう) 弘安三年(一二八〇)一二月、五九歳、於身延 馬というものは一、二歳の時は、たとえ関節がのびて円(まる)い脛(すね)で、 脛が細長く腕が伸びていても、病気があるようには見えない。 しかし、七、八歳になって身体も肥え、血管が太くなり、 上体が大きくなり下体が細い時は、ちょうど小さな船に大きな石を積み、 小さな木に大きな果実がなったように、いろいろの病気が出てきて、 人の役にも立たず、力も弱く、寿命も短くなるものである。 諸天や神々などもそのようなものである。 この世界ができたばかりの成劫の時代のはじめには、前世の果報が すぐれた衆生が生まれかわってくる上に、人間も悪いことをする者がいないから、 神々の身も輝き、心も清らかで、日月のように鮮かで、師子や象のように 勇ましかったけれども、成劫もすぎて住劫の時代になると、 前代からの諸天や神々も年をとって、
盂蘭盆御書(うらぼんごしょ) 弘安三年(一二八〇)七月一三日、五九歳、治部殿祖母宛 治部房日位殿の祖母御前からきたお手紙のご返事 日 蓮 白米一俵・焼米・瓜・茄子等をお送りいただき、 たしかに仏前へお供えして、あなたのお志を言上いたした。 ちょうどお盆を迎えたので、盂蘭盆について申し上げよう。 その昔、仏の弟子に目連尊者という人がおられた。 この人は智慧第一といわれた舎利弗と並んで、神通第一といわれ、 あたかも須弥山に日と月が並んでいるように、また大王の左右に いつも付き従っている大臣のような存在であった。 この人の父は吉懺師子といい、母は青提女といった。 その母は大変に物惜しみをして自分の持っている物を他人に与えようと しなかったために、その罪で死後に餓鬼道へ落ちてしまっていたのを、 目連尊者が救い出したことから始まっているのである。 その因縁についてお話しすると、母が餓鬼道に落ちて若し
ものが多くて、捨てられない人がいます どんなものでも、ものは全て「荷物」だと思いましょう 人間は、荷物を集める清掃車みたいなものです 限りなく荷物は増えて行きます 衝動的に、「これが欲しい」と買ったり集めたりすると ものはどんどんと増えて行きます 目的がはっきりしていないので使うこともないし、 かといって、捨てられない コントロールするには、 「これは本当に必要だろうか」 「なくては困るものなのだろうか」 という基準で選択することです。
愚かな人は、自ら自分の気持ちを「暗く」します。 賢者は、自ら「明るく」しようと努めます ある落語家が、寄席の舞台から足を踏み外し、客席へ転げ落ちました 彼は、腰をさすりながら再び舞台へ上がるなり 「どうも、ラクゴシャです」 と、一言 「落語家」と「落伍者」をかけたうまいシャレに観客はドッと湧きました 失敗に、ひどく落ち込んで気持ちを暗くするのは、愚かなことです。 何かを失ったり、大勢の前で恥を書いたりすることを恐るあまり、 挑戦することから逃げるのは、もっと愚かです たった一度の人生なのに、とても勿体無いことです これに対して賢者は、その恥ずかしい失敗を、むしろ楽しもうとします 失敗を笑い話に変えて、明るく語ることができます。 生きている限り、失敗を経験しない人などいません どこかでドジを踏むたびに、いちいち落ち込んでいたのでは、 常に心を前向きに保つことは難しいでしょう。 だからこそ、恥
愚かな人は、自分と他人を比較して悔しがります 賢者は、自分と他人を比較して励みにします。 人は、「他人」を気にする生き物です。 あの人と自分と、どちらが美しいのか ライバルと自分と、どちらが評価されているのか あの人と自分と、どちらがより幸せか そのように他人と自分を比べずにはいられないのです それが「人間の性」ですから、無理に比べるのをやめろとは言いません 重要なのは、「自分の方が負けている」と感じたときに、 どうするかです。 例えば、同期の同僚が自分より先に昇進したとき 愚かな人は、「先を越された、悔しい!自分はもうダメだ」 と、大騒ぎして、心を波立てます。 一方、賢い人は、波立った感情が、自分の利益にならないことを 知っているので、心の平安を保つように心がけます。 では、どのように平静を保つのかというと、ライバルを祝福し、 先を越された悔しさを「もっと頑張ろう」という エネルギーに変
花の香りは、吹く風の向きに逆らって流れてはいきません しかし、賢者の香りは、風に逆らってでも広まっていきます 全方向に 優れたものの評判は、自ら 「この商品はすごい」 「私は素晴らしい」 などと宣伝して回らなくても、自然に広まっていくものです あるレストランは、何の宣伝もしていませんし、看板も出していません それでも、口コミで、美味しいと言う評判が広まり、店内はいつも満員です 「人の噂」とは、そう言うものなのです たとえ、他の人に成果を横取りされ、嘘の悪評を流されようとも、 真に力のある人、誠実な人の評判は、必ず広まります。 もし周りから高い評価を得たいのなら、自慢話をして回るよりも、 実力を高めるための勉強に時間を費やすのが一番です 今やるべきことをコツコツこなして、実力を蓄え 確実に成果を出していけば、「いい噂」は 自然と自分の後についてくるようになります 実力もないのに、身の丈に合わ
賢い人は 自分の欠点を、しっかり指摘してくれる 聡明な人を歓迎します その人は 隠れた才能を引き出してくれるのですから 「その提案は、ここを見落としている」 「あなたのスキルは、ここが今ひとつだ」 と、欠点を率直に指摘してくれる親しい人を あなたはどう扱いますか? 愚かな人は、腹を立てて、その人を遠くへ追い払います 賢者は、「良い点に気づかせてもらった、これからもずっと そばにいて、適切なアドバイスをしてもらえないか」 と、その人を大切にします なぜ、相手は厳しいことを言うのか 相手の身になって考えてみましょう それは、傷つけてやろうとか、バカにしてやろうと言う 意地悪な気持ちからではない場合がほとんどです 「このままでは、あの人は成長しない、ここでもう一踏ん張りすれば もっと素晴らしい結果が得られるはずだ」 と、その人の成功を親身に考えてくれているからです 期待していな人には、わざわざ欠
ミツバチは、花を傷つけることなく、蜜をとって行きます 賢者もまた、相手を傷つけることなく 相手の長所を自分のものとします どんな人にも、必ず「いいところ」があります 賢者は、他人の「いいところ」だけを上手に吸収し 自分の成長に役立てます 例えば、素晴らしいアイデアを出せるようになりたいと思ったら、 凄いアイディアマンを見つけて、その人がどんな本を読み、 どんな映画や音楽に興味を持ち、どんな人と付き合っているのか じっくり観察します さらに、そのアイデアマンに自分から積極的に質問して いいアイディアを出す方法を教えてもらい、それを学び取ります ただし、相手を騙してノウハウを盗んだり、裏切って相手の 人脈を自分のものにしたりするようなことは絶対にしません 相手を出しぬき、相手の居場所を奪うようなことをすれば、 その因果は、必ず自分自身に跳ね返ってくるからです もし、ミツバチが、蜜さえ取れればい
怠けて暮らしてはいけません 悪い考えを抱いてはなりません 心配事を増やしてはいけません 愚かな行いに、馴染んではいけません 幸運を招くのも、不幸な人生を歩むのも、 この世に生きるあなた次第です。 運命は、生まれる前から決定しているわけではありません。 日々、あなたが何を考え、何を行うかで決まるのです。 つまり、自由自在なのです 「私は不運にばかり見舞われる、これからも「いいこと」なんて起こらない」 などと思うのなら、まずその「間違った考え」を捨てましょう 投げやりになって、幸せになるための努力を怠ければ、 心配事をさらに抱えるでしょう そんな余裕のない貧しい考えは、あなたの心から慈悲心を奪い 自分の利益しか考えないさらに貧しい心を生むでしょう 貧しい心からは、貧しいものしか生まれません あなたは、あなたが思うよりもずっと期待できる人間です まず、そう知るだけで、運命は大きく好転します そし
【今現在をよくすることから始めましょう】 今の日本は、将来に向かって良くなっていく材料を見つけるのが、 なかなか難しい状況にあるかもしれません 国全体の未来が暗いということですね。 国の将来は、自分一人の力で変えられるものでもありませんから、 将来のことを前向きに考えるのは、なかなか難しいのかもしれません。 しかし、自分の将来に希望を見出せないというのは、その人の「今」が よくないからではないかと思います。 人は将来のことを、今の状況から思い描きます。 もし、今がとても良いのであれば、将来もそれほど暗いイメージにはならない と思います。 仏教では、過去や未来ではなく、「今現在をどう生きるのか」ということを とても大切にしています。 過去はもう過ぎ去ってしまったし、未来はまだやってこない たとえどんなことをしても、どちらも我々には変える事はできません けれど、今この瞬間のことであれば、我々自
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