芭蕉が日光道中の千住から2400㎞にもおよぶ『おくのほそ道』の旅に出たのは、元禄2年 (1689) 春。当時の千住は、江戸四宿の一つとして大いに栄え最盛期には、55軒の旅籠が約150人の飯盛女(めしもりおんな=遊女)をかかえていた。 今、旧街道には宿場の活気を彷彿(ほうふつ)させる商店街が続く。その一角、『千住街の駅』には浮世絵が展示され、絵葉書などの芭蕉グッズも並ぶ。また、旧街道から脇に入った金蔵寺(こんぞうじ)には千住遊女の慰霊碑が残っている。 千住宿のはずれで、名物だんごを味わった後は、荒川に架かる千住新橋を渡っていく。ここから眺める風景はのびやか。 〈片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず〉 と記した芭蕉の心情に触れた気がする。