「本当は墓場までもっていくつもりだったんですけど、あれから30年以上経ちましたし、もう時効ですからね」 インタビューの終盤、桑田真澄氏は今回の取材を受けた理由について、静かにこう語った。 PL学園のエースとして甲子園優勝2回、準優勝2回、戦後歴代1位の甲子園通算20勝を挙げ、プロでも通算173勝。'07年に移籍したパイレーツで、メジャー登板を果たし、引退。数々の記録を打ち立てた大投手が、一度は死ぬまで封印しようとした出来事――それこそが、1985年11月20日、あの運命のドラフト会議の記憶だった。 '85年秋、2人の「甲子園の英雄」の高校卒業後の進路に世間の注目が集まった。“KKコンビ”と呼ばれた英雄、清原和博氏はプロ入りを志望し、巨人への入団を熱望。もう1人の英雄・桑田氏は、早稲田大学への進学を希望しているとみられていた。 しかし11月のドラフト会議で、巨人は桑田氏を1位で単独指名して交