昭和12年に始まった日中戦争を契機に、日本国内では華美を慎む風潮が広がります。 戦況が悪化するにつれ生活は窮屈になっていき、昭和15年には「ぜいたくは敵だ」のスローガンのもと、女性の“おしゃれ”はことごとく規制されました。 まず輸入化粧品がぜいたく品として規制され、その後おしろいや頬紅、口紅などの使用が禁止に。さらに過度なおしゃれは贅沢だとされ、パーマも禁止され、衣服にはモンペが奨励されました。 こうした規制にすべての女性がおとなしく従ったわけではなく、特に戦前から人気だったパーマは多くの女性がかけ続けていたそうです。 しかし、パーマスタイルの女性は「非国民」と罵られ、唾を吐きかけられるような世の中でした。 そんな世の中でも、淡谷のり子はパーマも化粧もやめず、モンペ姿で歌えという軍部の命令にも従いませんでした。 歌手は夢を売る商売。暗い時代だからこそ、舞台では華やかなドレス姿を見せてあげた