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柄谷行人に関するsuteadokakuのブックマーク (8)

  • https://gold.ap.teacup.com/multitud0/718.html

    suteadokaku
    suteadokaku 2012/10/31
    どこで言ってたのかしらないが、仮にそうでもそれは会ったばっかりのことだよ。中上と部落解放同盟との微妙な関係についても昔からしてたし
  • パララックス・ヴュー - 柄谷行人

    「視差」戦略的に全面的に再編成 カントは『純粋理性批判』で、たとえば、「世界には始まりがある」というテーゼと「始まりがない」というアンチテーゼが共に成立することを示した。それはアンチノミー(二律背反)を通してものを考えることである。しかし、カントはそれよりずっと前に、視差を通して物を考えるという方法を提起していた。パララックス(視差)とは、一例をいうと、右眼で見た場合と左眼で見た場合の間に生じる像のギャップである。カントの弁証論が示すのは、テーゼでもアンチテーゼでもない、そのギャップを見るという方法である。実は、そのことを最初に指摘したのは、私である(『トランスクリティーク――カントとマルクス』)。それを読んだジジェクは、書において、戦略的なキーワードとして、パララックスという語を全面的に使用した。といっても、たんに言葉を取り入れただけである。書は、その語を使って、彼がすでにこれまで書

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    suteadokaku 2012/01/31
    "脳科学や認知科学の成果を肯定する。その上で、そこにパララックスを見いだす"斎藤環に聞かせたい
  • 本 世界共和国へ 1 - yogosiurubi's blog

  • 特集ワイド:日本よ!悲しみを越えて 評論家・柄谷行人さん - 毎日jp(毎日新聞)

    <この国はどこへ行こうとしているのか> ◇デモでノーと言おう--柄谷行人さん(70) 「--そうですね、死と同じかもね」。今にも雨が落ちてきそうな薄暗い午後、東京郊外の自宅で、柄谷行人さん(70)は静かに語り始める。福島第1原発事故をどう受け止めたか、との質問への答えだった。「原発で事故が起こるとどうなるか、ということは昔からで読んではいたんです。だから予想できたことなのに、分かっていたはずなのに、実際に起こってみるとそれに対して何も考えてこなかったな、と感じる。自分の死もそういうものでしょう」 思想、経済、文学、政治、科学--さまざまなジャンルをアクロバット的に行き交い、硬質な文体で論じてきた知性は「フクシマ」からしばらくの間、原発についての以外、何も読めなくなってしまったと言う。原発建設に対して何もしてこなかったことに忸怩(じくじ)たる思いがある、とも。 その柄谷さんが今、ことある

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    suteadokaku 2011/11/08
    正しいことを言っても利権の中で生きている人の生き方は変えられないことを、啓蒙で宗教は終わらせられないといった20年前の柄谷を読ませて学ばせたい
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

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    suteadokaku 2011/09/16
    "法政大学教養部の授業に来ないか"こういう人だからNAMは失敗したんだな
  • 純粋スキゾ批判:Critique of Pure Schizo / kay shixima blog:柄谷行人とその思想の『外部』 - livedoor Blog(ブログ)

    Furchtlos bleibt aber, so er es muss, der Mann Einsam vor Gott, es schützet die Einfalt ihn,

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    suteadokaku 2011/06/29
    東浩紀とその子分にも美学はなくて例に上げられてる三角関係の分析と、社会評論めいたものを重ねる手法の亜流だよ。柄谷が多少なりとも誠実だったのは、数年前に自分みたいのはもう終わりだって宣言したところ
  • 十年前の「群像」を読んだ。柄谷行人と村上龍の対談。 - 蝶を曳く−文芸時評

    十年前の一月号には「群像」と「文学界」が柄谷行人の対談や鼎談を載せた。どちらも良い。NAM を始めた頃で、柄谷の発言は意気軒昂としている。それとはあまり関係無い部分を引用しよう。もちろん、NAM を始めたという文脈で語っていることではある。「群像」の「時代閉塞の突破口」で、相手は村上龍だ。 自然主義は文学史の概念で、いろいろ議論はあるけど(略)、今まで君がやってきたようなこと、他の作家も皆やっていること、これを自然主義と呼んだほうがいい。要するに、ネガティブなことだけを描く。しかし、そのことが結果的に国家への対抗になっているのだ、と。私小説もそうです。自分の病理的な世界を書く、しかし、それが同時に世界の病理であり、その「鏡」になっているのだ、というわけです。だから、、何を書いても許されるし、くだらない自己暴露が妙に評価されたりする。石川啄木が「時代閉塞」と呼んでいるのは、大逆事件後の状況で

    十年前の「群像」を読んだ。柄谷行人と村上龍の対談。 - 蝶を曳く−文芸時評
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    suteadokaku 2011/06/09
    のちの近代文学の終わりを踏まえると、これはほとんど蓮實に対する敗北宣言とわかる。新海誠の描写を考えるヒントに使うというのに柄谷の可能性は残されてると思う
  • 『星を追う子ども』公式サイト/新海 誠 最新作

    MC:それでは新海監督をお呼びいたします。4年ぶりの『秒速』の上映、監督いかがでしたか? 新海:『秒速5センチメートル』は、もう4年も前の作品で、こちらの劇場でも上映させていただいたのですが、僕にとっては特別な作品だったんですね。なぜ特別なのかというのはこのあとお話しさせていただきます。1週間前に僕たちの最新作『星を追う子ども』が公開になり、池袋と新宿で舞台挨拶をしてきたのですが、その時にちょうど、4年前にこの劇場でお世話になったスタッフの方がサイン会に来てくださり、「うちのキネカ大森にも来てください」と言われ、それで今日の舞台挨拶とティーチインが実現しました。そんなふうに、人と人のつながりがこの作品を中心につながっているということを実感します。 MC:改めて、監督にとって『秒速』はどんな作品だったんですかね? 新海:実は、ちょっと愛憎半ばの作品なんですね。というのは、新作『星を追う子ども

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    suteadokaku 2011/05/25
    オタク文化に全く言及しない文芸評論が、人気アニメ監督に大きな影響を与えていたの図。浅田彰を知らないアニメ業界人にショックを受けて文学から離れた元文芸評論家は何を思うのだろうか
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