Hands-on with the new iPad Pro M4: Absurdly thin and light, but the screen steals the show
「視差」戦略的に全面的に再編成 カントは『純粋理性批判』で、たとえば、「世界には始まりがある」というテーゼと「始まりがない」というアンチテーゼが共に成立することを示した。それはアンチノミー(二律背反)を通してものを考えることである。しかし、カントはそれよりずっと前に、視差を通して物を考えるという方法を提起していた。パララックス(視差)とは、一例をいうと、右眼で見た場合と左眼で見た場合の間に生じる像のギャップである。カントの弁証論が示すのは、テーゼでもアンチテーゼでもない、そのギャップを見るという方法である。実は、そのことを最初に指摘したのは、私である(『トランスクリティーク――カントとマルクス』)。それを読んだジジェクは、本書において、戦略的なキーワードとして、パララックスという語を全面的に使用した。といっても、たんに言葉を取り入れただけである。本書は、その語を使って、彼がすでにこれまで書
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