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2011年8月14日のブックマーク (2件)

  • ホモソーシャルについて - jun-jun1965の日記

    前川直哉の『男の絆』について私が書いた一点のアマゾンレビューが時おり話題になるので、いちおう説明しておく。 上野千鶴子の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』もそうだが、なるほど、こういうことは一般にはまだ知られていなかったのかと思ったもので、こうした話は、学者(文学研究者、社会学者)の間では、1990年代にさんざん議論されていたことで、上野著にも前川著にも、私を含めそれらの人は、別に新しいものは何も見出さなかったであろう。 特にいずれも、物故したイヴ・コゾフスキー・セジウィックが『男同士の絆』の序文で言ったことをそのまま信奉している。なおセジウィックのこのが、邦訳される前、おそらく日で一番早く紹介したのが、私の『夏目漱石を江戸から読む』(1995)なのだが、まあそれはいい。 セジウィックはその序文で、ホモソーシャルという概念を打ち出している。ただこの概念をセジウィックが作ったというわけで

    ホモソーシャルについて - jun-jun1965の日記
  • 松本清張の北一輝批判 - heuristic ways

    清張『北一輝論』(ちくま文庫)の解説を書いている筒井清忠氏によると、書が出版された一九七〇年代半ば頃には「一種の北一輝ブームが起こっていた」らしい。たとえば「村上一郎の『北一輝論』が典型だが、それらは北一輝に対する共感を含んだ評価を生み出していた」という事情があり、「松がこうした風潮に水をさすことを目的として書を執筆したことは、間違いのないところ」だと筒井氏はいう。 松清張氏は、北一輝の理論的な混乱や矛盾を逐一指摘し、しつこいくらいに「ダメ出し」している。それはほとんど痛快なくらいである。私も北一輝や二・二六事件に対して、「共感」を感じるところはほとんどない。ただ、日近代史の「暗部」や「謎」として、興味をかきたてられるところがあるにすぎない。おそらくそれは、北一輝がいわば「天皇その可能性の中心」を見出したことに関わっている。だが北は、国体論批判において、明治期の宗教的・神話的