国民感覚とずれていた「野党第一党病」 「選挙区で負けたのは維新の力。比例で復活できなかったのは『野党第一党病』にかかっていたこと」。インタビューの冒頭、辻元清美氏は自らの敗因を端的に総括した。衆院選から約2週間後の11月15日、大阪府高槻市内の事務所。「今日刷り上がったばかり。これが第1号です」と手渡された名刺には、衆議院議員、立憲民主党副代表、同党大阪府連合代表などの肩書がすべてなくなり、名前だけが書かれていた。大阪における維新の強さは後述するとして、まず「野党第一党病」とは何か。 「一つは国民感覚とのずれ。多くの国民はすぐに政権交代ができるとは思っていなかった。望んでいたのは、圧倒的多数の自公政権から与野党伯仲の国会に持っていって、緊張感ある健全な議論ができる政治にしてほしいということだったと思うんですね。しかし立憲民主党は野党第一党であり、私は副代表という立場。政権交代の受け皿になる