最近、出玉の制限の新しい規制も始まったようで、 一時期相当なギャンブルと化していたパチンコも、昔の 庶民のレジャーに戻っているような気もしますね。 戦後、名古屋の華僑が考案したといわれるパチンコはヤミ市で 人気を呼び、またたく間に全国に広まり、第1次のパチンコ・ ブームが起きました。パチンコ店は全国で約3万店、メーカーは 600社にも達したそうです。しかし、当局は庶民の射幸心をあおる として、一度にたくさん玉の出る機種の開発や新たな開店を厳しく 制限し、業界は大きな打撃を受けました。(1951年のニュース) この当時のパチンコは玉の貸し出しや補給も人の 手でやっていましたから電気もほぼ使っていません。 東日本大震災の時には「電気の無駄使い!」と当時 の石原都知事が非難してましたが、これなら相当な 省エネですね。 私は子供のころ祖父に連れられてよく パチンコ屋に行きました。足元に転がった球を