一休は手ごわい。同時代の連中もそう感じたろうが、死して500年を超えるのに、まだ手ごわい。一休禅の相手として熟達手練だったろう「道歌問答」で有名な蜷川親当が、「仏法とはどういうことでございますか」と聞いたとき、一休はこの信頼に足る夫婦揃っての法門の弟子にすら「仏法は鍋のさかやき、石の髭」と言ってのけた。石の髭なのである。仏の心が石の髭だなんて、アッカンベーだ。 一休は、女色も男色も遊んだ。隠れてこそこそしたのかもしれないが、平気でそのことを『狂雲集』に披露した。自分のことを「骨骼露堂々、純一将軍誉、風流好色腸」(骨体はまことに堂々としていて、一休宗純は将軍の誉れ、しかもはらわたの奥まで好色で詰まっている)などと豪語した。こんな七言絶句もある。 一生受用する米銭の吟 恥辱無知にして万金を撹む 男色美尼 惧に混雑 陽春の白雪 また 哇音 どういう意味かというと、お経を読んでいさえすれば、坊主な