昨年、惜しまれつつも50歳で現役引退したレジェンド・山本昌さん。32年にわたる現役生活、自身の投球、そして趣味など、さまざまなことをお聞きしてきました! 【島流し? 嫌だったアメリカ留学】 1983年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団した昌さんでしたが、入団当初は1軍に昇格できない日々が続きました。転機が訪れたのは5年目の1988年、アメリカへの野球留学でした。 「ちょうどドラ1で立浪(和義)くんが入団してきたのですが、当時は彼の半分の給料で野球をやっているような、吹けば飛ぶような存在。今年が最後だと意気込んでいる時に、3月から11月終わりまでアメリカに行けと伝えられました。今シーズンは一軍にいりませんと言われたような感じでしたね」 しかし昌さんは、故・アイク生原氏の熱心の指導もあり、アメリカで頭角を現します。このアメリカ留学では、スクリューボールもマスターしました。 そんな昌さんを球団も
ウェブページのアーカイブを保存しておくために欠かせない「ウェブ魚拓」は2005年にリリースされた老舗サービスだ。ユーザーからの切実なニーズに応え、有料課金で長いあいだ継続的に収益をあげている稀有な事例である。 そんなウェブ魚拓を運営する会社の創業者である新沼大樹さんはどんな人物なのか。前回は開発秘話やネット炎上について聞いたが、今回は新沼さん本人の知られざる一面に迫った。 スタートアップ経営者として成功していながら、なぜかネット業界よりも、“筋トレ業界”で有名のようだ。(取材場所は宮城県内にある新沼さん宅) トランプを素手でやぶるのはトレーニングだった –すごい…。このトランプはどういうことなんでしょうか? トランプを破るのは“握力”における有名な技で、一時期流行ったんです。流行ったといっても、できるは人あまりいないかもしれませんが。 –新沼さんの場合はもう簡単に破けちゃうものなんですか。
ウェブページのアーカイブを記録するサービスとして長く愛されている「ウェブ魚拓」。なんと2015年でオープンから10周年を迎えたそうだ。ネットの(炎上の)歴史とともにじわじわとユーザー数を伸ばしてきた。 そもそも誰がなんのために作ったサービスなんだろう?と思っている人も多そうだが、じつは広告収益よりも課金サービスのほうが好調な、手堅くはっきりとしたニーズに支えられたネットサービスだ。 そんなウェブ魚拓のアイデアを生み出し、運営会社の創業者でもある新沼大樹さんにサービスを作ろうとした経緯や、思い出に残るネット炎上、そして知られざる新沼さんご本人のワークスタイルについて聞いた。(取材場所は宮城県内にある新沼さん宅) ※ウェブ業界きっての肉体派・新沼さんの知られざる素顔に迫った後編はこちら。 消えていく不都合な情報、「もやもやする」気持ちがきっかけ ーーウェブ魚拓ってもう10周年になるんですね。そ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く