1978年5月、昼下がりの多摩美術大学上野毛キャンパスL棟(現2号館)の一室に、数人の大学院生が集まっていた。学生達が囲むテーブルの上には、発売されたばかりの美術手帖が置かれていた。その中で彼らの関心を引いたのは、「アートランダム」という小さなコラム記事(注1)だった。 「セラさん環が身を覚えていますか」と題されたその記事には、今も日本の現代美術史の一大トピックとして語り続けられている「第10回東京ビエンナーレ」(1970年)に出品されていた、ある作品の現状が書かれていた。リチャード・セラが東京都立美術館前の歩道に埋設した、L字鋼による環状の作品「環で囲む(注2)」。記事はセラの環が、上野公園整備事業の際に掘り起こされて行き場を失い、公園内の一角に放置されている実態を伝えていた。 学生達は、「文化遺産」がこのような形で取り扱われる事に単純に憤慨する一方で、ある不思議な事実に気付いた。「身元