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宮崎と歴史に関するsyomuのブックマーク (1)

  • asahi.com:3)宮崎・波島地区 島の面影 酒に機音に-マイタウン宮崎

    3日、宮崎市波島1丁目の公民館から沖縄の踊り「カチャーシー」のにぎやかな音色が聞こえてきた。宮崎沖縄県人会の新年会。お年寄りら約50人が集まり、最高齢の88歳の男性も楽しそうに両手を動かしていた。 ◇ 市中心部から車で北東に約4キロ。戦時中、強制疎開や戦災で焼け出され、沖縄や鹿児島・奄美群島から移住してきた人々によって築かれた波島地区がある。戦後も米軍占領下で帰島できない人が住み着いたという。家々の玄関先には沖縄でなじみの守り神・シーサーの置物が置かれ、地区内の酒屋には約50種の泡盛や黒糖焼酎が並んでいた。 路地を歩くと、「コトン、コトン」という織り機の音が聞こえた。看板には「大島紬(つむぎ)」の文字。経営するのは奄美の徳之島出身、福沢サエ(91)だ。 太平洋戦争末期、「命からがら」に母親と島外へ逃れた。戦後の1951年に親類を頼って夫と宮崎市へ。生活費を稼ぐために鹿児島市内の業者

    syomu
    syomu 2010/03/04
    奄美の祖国復帰運動は、宮崎市波島・大島地区から狼煙を上げた。
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