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2010年3月4日のブックマーク (3件)

  • ロード トゥ ヘコテン ~下川凹天への道~ 最終話

    2008年秋の関東での調査を終えて宮古に戻ると、下川凹天企画展の話は予想以上に、とんとん拍子に進みました。地元の生涯学習フェスティバルに、凹天研究の第一人者である沖縄キリスト教学院大学(通称キリ学)の大城冝武(おおしろ・よしたけ)教授を招いて講話をしていただいたり、地元新聞で記事にしてもらったりと、じわじわと凹天さんの知名度アップに向けて動きました。そして、博物館からは約1年後の開催を目指して予算をとってみるとの返事をもらったのです!。 凹天最晩年の弟子であった千葉県野田市在住の漫画家・出野元山(いでの・がんざん)さんは、わざわざ宮古島にも足を運んでくれたうえ、月に一度は電話やハガキなどで近況を確認し、私にエールを送ってくれていました。「あせらずにおやんなさいよ。みんなで凹天さんを大事にしていこうじゃないですか」と、独特の軽妙な話し方で電話の向こうから励まされるたびに、心強く感じていたので

    ロード トゥ ヘコテン ~下川凹天への道~ 最終話
  • asahi.com:3)宮崎・波島地区 島の面影 酒に機音に-マイタウン宮崎

    3日、宮崎市波島1丁目の公民館から沖縄の踊り「カチャーシー」のにぎやかな音色が聞こえてきた。宮崎沖縄県人会の新年会。お年寄りら約50人が集まり、最高齢の88歳の男性も楽しそうに両手を動かしていた。 ◇ 市中心部から車で北東に約4キロ。戦時中、強制疎開や戦災で焼け出され、沖縄や鹿児島・奄美群島から移住してきた人々によって築かれた波島地区がある。戦後も米軍占領下で帰島できない人が住み着いたという。家々の玄関先には沖縄でなじみの守り神・シーサーの置物が置かれ、地区内の酒屋には約50種の泡盛や黒糖焼酎が並んでいた。 路地を歩くと、「コトン、コトン」という織り機の音が聞こえた。看板には「大島紬(つむぎ)」の文字。経営するのは奄美の徳之島出身、福沢サエ(91)だ。 太平洋戦争末期、「命からがら」に母親と島外へ逃れた。戦後の1951年に親類を頼って夫と宮崎市へ。生活費を稼ぐために鹿児島市内の業者

    syomu
    syomu 2010/03/04
    奄美の祖国復帰運動は、宮崎市波島・大島地区から狼煙を上げた。
  • 윙버스

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