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ブックマーク / obiekt.seesaa.net (4)

  • トンデモ古代史を根拠に非武装を訴える沖縄反戦平和運動の怪

    前回の記事で紹介した沖縄の反戦平和運動家・海勢頭 豊(うみせど ゆたか)氏は、那覇での無防備地域運動の立ち上げだけでなく、憲法9条沖縄連絡会の共同代表、他にも米軍基地反対運動の一環として行っているジュゴン保護キャンペーンセンター代表で、現在、沖縄県でアクティブに動いている反戦平和運動の中心に居る人物です。生まれも育ちも沖縄県で、ご人の職業は「平和音楽家」だそうです。 そしてこの沖縄の反戦平和運動の中心人物と言える海勢頭氏の持論に、大変奇妙なものがあるので困惑しています。 2007年活動報告 4月1日:「世直しの歌とゆんたく」ジュゴンと琉球のきよらなこころ 場所:ドーンセンター | ジュゴン保護キャンペーンセンター古代から琉球は非武反戦の島でした。 琉球から太陽信仰を持ち帰り、弥生時代末期の戦乱の世直しをしたのは、倭迹迹日百襲姫(ワトトヒモモソヒメ)すなわち卑弥呼と考えられます。 卑弥呼は

    トンデモ古代史を根拠に非武装を訴える沖縄反戦平和運動の怪
    syomu
    syomu 2009/08/14
    鹿児島が島津藩、沖縄が琉球王国を持ち出して心地よくまどろみ続ける間は、南国に豊かさは戻らない。奄美はどちらにも属しない。
  • 琉球王国の火力装備と平和国家の幻想

    琉球王国の火力装備についての話は、既に二度ほど消印所沢氏の軍事板FAQで掲載済みなのですが、もう少し詳しく纏めて見ます。よく平和運動家の間では「琉球王国は平和な国だった」「武器の無い、争いの無い国だった」とされる事があるのですが、実態はまるで違うというお話です。 鉄砲伝来"前に火器存在/中城城跡 " (琉球新報 2001年1月4日) 琉球王国には種子島の火縄銃伝来(1543年)よりも100年早く、中国製の鉄砲の一種「火矢(ヒャー)」が伝わっています。以下のサイトで発掘された弾丸の写真を見ることが出来ます。 琉球軍の武器》火器 - グスクの海 創作小説のサイトですが、資料用のページでは現物が紹介されています。火矢(ヒャー)で使用された瑚弾、鉄弾、石弾の写真と、大元の中国の火器の画像が載っています。以下はその中国の火器の発射動画です。 火矢(ヒャー)は銃身が短く、照準も付け難いので、命中精度も

    琉球王国の火力装備と平和国家の幻想
  • 「琉球王国は武器を持たない平和な国」と大田昌秀・元沖縄県知事が信じていた件

    前回の記事「琉球王国の火力装備と平和国家の幻想」に対してこのような反論を受けました。ただ少し違和感を感じたので、一応、ツッコミ返しをしておきます。 「琉球王国は武器を持たない平和な国とサヨクが信じている」という説が流布されている件 - 風のはて 最初に言っておきたいのですが、私自身は「平和運動家」とは書きましたが「サヨク」とは書いていません。カタカナサヨクなどと、蔑むような物言いはしていない筈です。サヨク云々は「風のはて」管理人のumikajiさんが行ったアレンジです。何か早速コメント欄で誤解した人が居てちょっと困惑気味… では題に入ります。umikajiさんのコメント欄でも既に指摘されていますが、最近では革新系の元沖縄県知事・大田昌秀氏が「琉球王国は武器を持たない平和な国」と主張しており、これが琉球王国の幻想を広く流布する結果となっています。 『大田元県知事は沖縄の平和主義の根幹として

    「琉球王国は武器を持たない平和な国」と大田昌秀・元沖縄県知事が信じていた件
  • LTTE敗北宣言、スリランカ内戦が遂に終結

    遂に長きに渡ったスリランカ内戦が終結しつつあります。LTTEはスリランカ軍の最終攻勢を前に敗北宣言を行いました。 スリランカの「解放のトラ」が敗北宣言、指導者死亡か:読売新聞 LTTE(タミル・イーラム・解放のトラ)の指導者、ベルピライ・プラバカラン議長が自決して死亡したとの情報もありますが、まだ確定ではありません。(死亡が確定しました。自決ではなく射殺されています) 最終決戦場、ムライティブ周辺の海岸線を制圧したスリランカ軍。タンクデサントしていますが乗せ過ぎですね、これ。 映像で海岸から少し沖合いに見える船は、ヨルダン船籍の貨物船ファラーⅢ号。2006年12月23日に座礁し、身動きが取れなくなったところをLTTEに乗っ取られました。その後乗組員は赤十字の仲介によって解放されたものの、LTTEの支配領域であった為に離礁もままならず、放置されていました。 酷い状態の残骸へと成り果てています

    LTTE敗北宣言、スリランカ内戦が遂に終結
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