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言葉に関するsyuka_syukaのブックマーク (30)

  • 天理教用語解説「高山・谷底」

    天理教用語解説:高山・谷底 とは? 原典に、「高山」や「谷底」という言葉がしばしば出てきます。 「高山」とは人間社会における上流階級、いわば社会的支配層の人々のたとえと考えられます。 一方「谷底」は、人間社会における下層階級の人々のたとえだと考えられます。 「おふでさき」に 引用 高山にくらしているもたにそこに くらしているもをなしたまひい (一三 45) 引用終わり と仰せられるように、教祖は支配層の人々(高山)も下層階級の人々(谷底)もみな同じく親神様の子どもであるとお教え下されています。 お言葉の中に、「この道は谷底せりあげの道」や「一に百姓たすけたい」などと仰せられ、まず社会的、経済的に苦しんでいる人々への救い、教えからはじめられましたが、決して支配層(高山)はどうでも良いということではありません。 「高山」の中からも親神様のおとりつぎをする「用木」を見いだしたいと仰せられています

    天理教用語解説「高山・谷底」
  • 天理教用語「合図立合い(あいずたてあい)」

    天理教用語:合図立合い(あいずたてあい) とは? 教祖の予告が合図となって、道の理と世界の理が同時に立合って起こること。 <例> 明治十五年の初めから教祖は「合図立合い、合図立合い」としばしば仰せられていました。お側の者は、どういうことが見えてくるのかと心配していると、奈良警察署からの呼び出しがあり、教祖をはじめとして、おやしきの人々に科料が言い渡されました。さらに五月には警察の手によって、二段までできていた「かんろだい」の石が没収されました。 このことについては、おふでさきに それをばななにもしらさるこ共にな とりはらハれたこのさねんわな(一七 38) このざねんなにの事やとをもうかな かんろふ大が一のざんねん(一七 58) と仰せられているほどです。 明治十五年は、道の理としては、つとめ一条のおせきこみの重大な時旬。 教祖はこのつとめのせきこみという道の理と、迫害の強化という世界の理と

    天理教用語「合図立合い(あいずたてあい)」
  • 天理教用語「赤衣(あかき)」

    天理教用語:赤衣(あかき) 教祖は明治七年十二月二十六日より赤衣を召されました。近所の人々は教祖が赤い着物や赤い足袋をはかれているので「ほおづきばあさん」と言って笑いましたが、これは親神様の深い思惑によってなされたのです。 おふでさきに このあかいきものをなんとをもている なかに月日がこもりいるそや(六 63) と仰せられるように、教祖が「赤衣」を召されたということは、教祖が単なる人間ではなく、「月日のやしろ」であるということを、人間の眼に見える形で示されたのです。 天理教では神様のことを「神」、「月日」、あるいは「をや」と表現していますが、「赤衣」に「月日がこもっている」ということは、「赤衣」は神の理であるということ、すなわち「赤衣」を召されている教祖は「月日(神)のやしろ」であるということなのです。 天理教の信仰において、教祖が「神のやしろ」であるか、あるいは単なる人間であるかというこ

    天理教用語「赤衣(あかき)」
  • 天理教用語「あたえ(与え)」

    天理教用語:あたえ(与え) とは? 「あたえ」や「天のあたえ」とは、神様からのお与え、ご守護のこと。 「おさしづ」に あたえは天にある、理にあたえる (明治三二・八・二二) とあるように、「あたえ」は人から与えていただくのではなく、神様から与えて頂くのです。 またこの「あたえ」は、人間がいくら要求しても与えられるというものではなく、人間の真実の心の理に与えられるものなのです。 「おさしづ」にも にん/\の理によつて、あたえだけはある、どれだけ思えども、あたえだけの事 (明治二三・一二・一七) とも仰せられている所以です。 また「おさしづ」に めん/\年々のあたえ、うすきは天のあたえ、なれどいつまでもつゞくは天のあたえという と仰せられているように、お道の「あたえ」は世間のように多くはなく、また定まった与えはないが、いつまでも変わらないご守護を下されるのです。 変わらぬ「天のあたえ」を頂くた

    天理教用語「あたえ(与え)」
  • 稿本天理教教祖伝逸話篇三七 神妙に働いて下されますなあ

    稿天理教教祖伝逸話篇三七 神妙に働いて下されますなあ 明治七年のこと。ある日、西尾ナラギクがお屋敷へ帰って来て、他の人々と一しょに教祖(おやさま)の御前に集まっていたが、やがて、人々が挨拶してかえろうとすると、教祖(おやさま)は、我が子こかんの名を呼んで、 「これおまえ、何か用事がないかいな。この衆等はな、皆、用事出して上げたら、かいると言うてない。何か用事あるかえ。」 と、仰っしゃった。すると、こかんは、「沢山用事はございますなれど、遠慮して出しませなんだのや。」 と答えた。その時、教祖(おやさま)は、 「そんなら、出してお上げ。」 と、仰っしゃったので、こかんは、糸紡ぎの用事を出した。人々は、一生懸命紡いで紡錘に巻いていたが、やがて、ナラギクのところで一つ分出来上がった。すると、教祖(おやさま)がお越しになって、ナラギクの肩をポンとおたたきになり、その出来上がったのを、三度お頂きにな

    稿本天理教教祖伝逸話篇三七 神妙に働いて下されますなあ
  • 稿本天理教教祖伝逸話篇三六 定めた心

    稿天理教教祖伝逸話篇三六 定めた心 明治七年十二月四日(陰暦十月二十六日)朝、増井りんは、起き上がろうとすると、不思議や両眼が腫れ上がって、非常な痛みを感じた。日に日に悪化し、医者に診てもらうと、ソコヒとのことである。そこで、驚いて、医薬の手を尽したが、とうとう失明してしまった。夫になくなられてから二年後のことである。 こうして、一家の者が非歎の涙にくれている時、年末年始の頃、(陰暦十一月下旬)当時十二才の長男幾太郎が、竜田へ行って、道連れになった人から、「大和庄屋敷の天竜さんは、何んでもよく救けて下さる。三日三夜の祈祷で救かる。」 という話を聞いてもどった。それで早速、親子が、大和の方を向いて、三日三夜お願いしたが、一向に効能はあらわれない。そこで、男衆の為八を庄屋敷へ代参させることになった。朝暗いうちに大県を出発して、昼前にお屋敷へ着いた為八は、赤衣を召された教祖(おやさま)を拝み、

    稿本天理教教祖伝逸話篇三六 定めた心
  • 「失敗すること」を自分に許すと失敗が少なくなるという説 | ライフハッカー・ジャパン

    新しいプロジェクト仕事を与えられたり、これまで出会ったことのない問題にぶつかると、どうしても恐れや不安が湧き上がるもの。「失敗したら、どうしよう...」とか、「うまくやらなくちゃ!」という気持ちが、より心とカラダを硬くしてしまうこともあります。では、自信とエネルギーを持って挑戦するには、どうすればいいのでしょうか? Heidi Grant Halvorson博士は、心理学系ブログメディア「Psychology Today」で、このテーマについて採りあげ「失敗することを自分に許すと、結果として失敗が減る」と説いています。 それは、なぜでしょうか? 失敗から学ぶことによって、スキルや習慣を改善でき、失敗を防げるようになるからです。新しい仕事プロジェクトに取り組むときは、「いまはうまくできなくて当たり前。失敗するかもしれないけど大丈夫。」と自分に言い聞かせ、自分の失敗を受け入れる意識を持つと

    「失敗すること」を自分に許すと失敗が少なくなるという説 | ライフハッカー・ジャパン
  • 稿本天理教教祖伝逸話篇三三 国の掛け橋

    稿天理教教祖伝逸話篇三三 国の掛け橋 河内国柏原村の山利三郎は、明治三年秋二十一才の時、村相撲を取って胸を打ち、三年間病の床に臥していた。医者にも見せ、あちらこちらで拝んでももらったが、少しもよくならない。それどころか、命旦夕に迫って来た。明治六年夏のことである。その時、同じ柏原村の「トウ」という木挽屋へ、大和の布留から働きに来ていた熊さんという木挽きが、にをいをかけてくれた。それで、父の利八が代参で、早速おぢばへ帰ると、教祖(おやさま)から、 「この屋敷は、人間はじめ出した屋敷やで。生まれ故郷や。どんな病でも救からんことはない。早速に息子を連れておいで。おまえの来るのを、今日か明日かと待ってたのやで。」 と、結構なお言葉を頂いた。 もどって来て、これを伝えると、利三郎は、「大和の神様へお詣りしたい。」 と言い出した。家族の者は、「とても、大和へ着くまで持たぬだろう。」 と止めたが、利

    稿本天理教教祖伝逸話篇三三 国の掛け橋
  • 稿本天理教教祖伝逸話篇三二 女房の口一つ

    稿天理教教祖伝逸話篇三二 女房の口一つ 大和国小阪村の松田利平の娘やすは、十代の頃から数年間、教祖(おやさま)の炊事のお手伝いをさせて頂いた。教祖(おやさま)は、 「おまえの炊いたものを、持って来てくれると、胸が開くような気がする。」 と、言うて、喜んで下された。お事は、粥で、その中へ大豆を少し入れることになっていた。ひまな時には、教祖(おやさま)と二人だけという時もあった。そんな時、いろいろとお話を聞かせて下されたが、ある時、 「やすさんえ、どんな男でも、女房の口次第やで。人から、阿呆やと、言われるような男でも、家にかえって、女房が、貴方おかえりなさい。と、丁寧に扱えば、世間の人も、わし等は、阿呆と言うけれども、女房が、ああやって、丁寧に扱っているところを見ると、あら偉いのやなあ、と言うやろう。亭主の偉くなるのも、阿呆になるのも、女房の口一つやで。」 と、お教え下された。 やすは、二

    稿本天理教教祖伝逸話篇三二 女房の口一つ
  • 「もっとも心に響いた名言・格言はなんですか?」海外掲示板のコメント集 : らばQ

    「もっとも心に響いた名言・格言はなんですか?」海外掲示板のコメント集 ちょっとした言葉に励まされたり、感動したりすることがあります。 その時の状況や気分により、心にしみたり、そばにおいて座右の銘にしたり。 「あなたにとって心に刺さる名言・格言は何ですか?」という質問に対し、書き込まれていた言葉の数々をご紹介します。 海外掲示板に書き込まれていた、それぞれの感慨深い名言・格言を抜粋してご紹介します。 ・人には優しくしなさい。あなたが会うどの人も困難な闘いをしているのです。 ―ジョン・ワトソン ・広く知れ渡っているという理由で間違いが真実にはならず、誰にも知られていないという理由で真実が間違いにはならない。 ―マハトマ・ガンジー ・人間性のテストである:自分の外側にあるものを全て失ったら、どれだけのものが自分に残るのだろうか。 ―オリソン・スウェット・マーデン ・この世で不屈の忍耐から取り上げ

    「もっとも心に響いた名言・格言はなんですか?」海外掲示板のコメント集 : らばQ